「黄金のバンタム」を破った男
2012年11月26日 公開 2018年11月29日 更新
著者からのメッセージ
1945年、日本は戦争で300万人もの尊い命を失い、国内を焼け野原にされた。そして独立国としての主権を奪われ、7年にわたり連合国に占領された。国民は打ちひしがれ、自信を失った――。
しかしそんな日本人に活力を与えた男たちがいた。中間子論で世界の物理学界を驚倒させ、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹、敗戦国の選手としてオリンピック出場を阻まれながらも驚異的世界記録を樹立した水泳の古橋廣之進、そしてこの物語のテーマであるプロボクシングの舞台で世界フライ級チャンピオンとなった白井義男だ。彼らは世界に「日本人ここに在り!」と知らしめ、国民に勇気と誇りを与えた。
現代はボクシングの世界チャンピオンは70人以上もいて、それこそ石を投げればチャンピオンに当たるくらい値打ちの低いものになっているが、当時は違った。チャンピオンは世界にわずか8人。当時、世界のレベルは怖しく高く、日本人ボクサーがチャンピオンになるのは不可能と言われていた。それだけに白井の偉業は光る。
しかし白井が王座を奪われた後、再び世界の壁は厚くなり、多くの日本人挑戦者がその壁に跳ね返された。
8年後の昭和37年、19歳の青年、ファイティング原田が世界王座を奪回した時、日本人はこの快挙に熱狂した。敗戦の混乱期から立ち直り、再び世界の国々と肩を並べようと頑張っていた国民の多くは、徒手空拳で世界と戦うファイティング原田の姿に自らを投影させた。
原田は人々の期待を一身に背負い、3年後、史上最強チャンピオンと言われていた「黄金のバンタム級」ことエデル・ジョフレを破るという歴史的勝利で二階級制覇を成し遂げた。人々はこれを自らの誇りとした。これ以後、原田の防衛戦のテレビ中継は「国民的行事」となり、その全試合が視聴率50パーセントをマークするという信じられない記録を残した。これは1960年代という熱狂的な時代を背負って戦い抜いた、1人のボクサーの戦いの軌跡を綴ったノンフィクションである。
編集者からのひとこと
文庫出版部編集長 根本騎兄
百田さんとの出会いは、当社刊の文庫判小説誌『文蔵2008.11』の特集でインタビューさせていただいたのが最初です。新刊『ボックス!』についての取材で、のちに文庫でミリオンセラーになる『永遠の0』と、『聖夜の贈り物』の2冊しかご作品がなかったころです。
お目にかかる前から、『ボックス!』の迫真の試合描写を読んで、「著者は競技経験者に違いない」と思ったところ、案の定、大学のボクシング部ご出身。聞き手のTさんもプロのライセンスを持つライター。私も及ばずながらボクシング好き――ということで、すっかり盛り上がってしまい、居酒屋に場所を変えてボクシング談義に花を咲かせたのでした。
すると、百田さんから「少年時代にテレビで見たファイティング原田の雄姿が忘れられない。僕の永遠のヒーローです」とのお話。当時は、1団体に8階級しかなく、チャンピオンは世界に8人しかいなかった。現在は主要4団体に17階級、70人近い世界チャンピオンがいる。世界チャンピオンになるのは、今とは比べ物にならない大変な快挙だった……。
その熱いトークに魅せられ、「ファイティング原田とその時代を書きませんか。できれば原田会長にも取材して」とご提案したところ、「それは、ぜひ!」となったのでした。
本書は、1960年代のボクシングシーンを描きながら、昭和という時代が持つ「熱」みたいなものがストレートに伝わってきます。もちろん試合の描写は、その場に居合わせたかのような臨場感と迫力です。
ちなみにタイトルの「黄金のバンタム」とは、バンタム級最強と称えられたエデル・ジョフレの尊称。ファイティング原田は19歳で世界フライ級王者となり、22歳でジョフレを破って世界バンタム級王座を獲得し二階級制覇。しかもジョフレとの再戦でも彼を返り討ちにしています。「ジョフレを2度破った男」として、ファイティング原田は日本人選手で唯一「世界ボクシング殿堂入り」しています(※ジョフレの黒星はこの2つだけです)。
ファンの間で「百田節」といわれる、読者をぐいぐい引き込む語り口が、愛するボクシングに素材を得て炸裂しています。