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時間と空間は絶対的 アインシュタインが常識を疑うことで解明した「世界の本当の姿」

澤田涼(東京大学宇宙線研究所研究員)

2026年03月12日 公開

時間と空間は絶対的 アインシュタインが常識を疑うことで解明した「世界の本当の姿」

19世紀の世界では「時間と空間は絶対的なもの」という考え方が常識でした。ところが、その常識を覆したのが、私たちの身近にある「光」です。

「光の速さは変わる」と考えられていた当時、「観測者に寄らず光速は一定」という事実を解明したアインシュタイン――本稿では、東京大学の宇宙線研究所研究員である澤田涼さんに、アインシュタインが当時の常識を疑うことで見抜いた「世界の本当の姿」について解説していただきます。

※本稿は、澤田涼著『東大研究員がゼロから考えてみた「宇宙の常識」』(大和出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

光はどうやって伝わるの?

澤田涼著『東大研究員がゼロから考えてみた「宇宙の常識」』

物理学の関心の中心は、「バラバラに見える現象を、なるべく少ない原理で説明する」ことにありました。しかし19世紀、それを最も強く裏切った存在がありました。

それは、あまりにも身近で、どこにでもある存在、「光」でした。なぜなら、「光」はすでに波の一種であることは明らかとされていた一方で、波としてはどうしても説明のつかない部分が見つかり始めていたからです。

出発点は素朴です。水面波であれば水を、音波であれば空気を伝播するように、波は伝わる媒質(水や空気)があって初めて伝播します。光も波であるならば、自然な推論として「光にもまた、光を伝える媒質がある」はずです。

しかし光は、空気の存在しない"真空中"でも伝わることが知られていました。では光は何を媒質にして伝わるのか?目に見えないけれど真空にも存在する。そんな光を伝える謎の媒質を、人々は「エーテル」と名づけました。

ここからエーテルの存在の探究は過熱します。もしエーテルが存在するなら、私たちのもとには太陽からの光が届いているのだから、きっと宇宙にも満ち満ちているだろう。ならば、太陽の周りを回る地球は、宇宙のエーテルのなかを動き回っているはずです。

つまり、地球上には、「エーテルの風」(地球はエーテルで満たされた空間を移動しているため、エーテルの風を受けるという仮説)が吹いているだろうと予想されていました。19世紀後半、この「エーテルの風」を調べる実験は数多くおこなわれました。そのなかでも、最も有名なのが「マイケルソン・モーリーの実験」です。

彼らの考えは次の通りです。音速が向かい風・追い風によってその速さが変わるように、光の速さもエーテルに対する相対速度でわずかに変わるはず。そこで、エーテルの風が吹く方向によって光の速さに差が生じることを観測できれば、エーテルの存在を立証できるはずだと考えました。

しかし実験では、エーテルが存在する証拠は見つかりませんでした。つまり、自然は私たち人類に、「エーテルが存在しない、あるいは存在したとしても光の速さは変わらない」という事実を突きつけたわけです。

 

「測れるはずのものが測れない」とき、科学は何を信じるか?

「エーテルが存在しない、あるいは存在しても光の速さは変わらない」という事実をどう受け止めるか? 補修案は2つありました。

1つは、実験結果の解釈に修正を与える選択。本当は光の速さはエーテルの風によって変わっている。しかし、実験結果と矛盾させないために、「測定装置そのものが自転運動方向に縮んでしまっている」という仮説が持ち出されました。

これは「ローレンツ・フィッツジェラルド収縮仮説」と呼ばれるものです。こう仮定すれば、「エーテルの風は吹いている」が、「観測上は光がいつも同じ速さに見える」という状況のつじつまが合うからです。とはいえ、この立場は次第に"その場しのぎ"の仮定の寄せ集めになりがちで、説明の見通しを悪くする弱点を抱えていました。

もう1つは、もっと潔い選択。どの観測者にとっても、光の速さは不変的なものだと、原理として据える道です。ただしこの選択は、古典的な物理学観と正面からぶつかります。その理由としては、私たちは長く、「速さは足し算できる」と考えてきたからです。

たとえば、前方から放たれた光に向かって、列車で近づいていくとします。列車から見る光の速さは、止まって見るよりも早いはずで、「光の速さ+列車の速さ」で見えるはずです。

ところが、「どの観測者にとっても、光の速さは不変的だ」と受け入れることは、この足し算を許しません。地上から見ても、列車で追いかけても、逃げても、測られる光の速さは変わらない。そこには、避けることのできない大きな矛盾が立ちはだかります。この2つの選択肢、

・仮定や例外を増やすことで、これまでの古典的世界とつじつまが合うように実験結果の解釈を変える道。

・あるいは、光の速さは不変的なものだと受け入れて、直感的に受け入れがたい「速さの足し算の矛盾」と立ち向かう道。

もしあなたが科学者だったら、どちらを選んでいたでしょうか?

恐れず言えば、私自身は、前者の立場も悪いものだとはまったく思いません。むしろ性格的には、前者で解決策を探っていたことだと思います。

ただ、アインシュタインが選んだのは、後者でした。光速度不変を受け入れる立場は「少ない前提で多くを説明する」という物理の美意識にかないます。アインシュタインもまた、この「美しさ」に背中を押されたのでしょう。

 

「常識を疑った」アインシュタイン

「速さの足し算の矛盾」は非常に原始的かつ根本的な問題であるため、解くことは簡単ではありません。矛盾を解くためにアインシュタインが取った解答は、当時の常識であり、現代もなお私たちの直感的な常識である、「時間と空間は誰にとっても絶対である」という考えを、根底から疑うことでした。

この前提を引っくり返し、「むしろ光速のほうが絶対である」と置き直したのです。

この発想の転換こそが、特殊相対性理論の出発点となります。アインシュタインの思考は、派手な数式の魔法から始まったわけではありません。少なくともそのイメージだけなら、小学生の頃に算数で習った「距離÷時間=速さ」という式から紐解くことができます。

古典的な物理学観では「誰にとっても同じ時間・同じ長さ」を前提にしていました。これは、「誰が測っても絶対的に同じ距離÷誰が測っても絶対的に同じ時間=観測者によって変わる速さ」という構造です。

速度はあくまで相対的に変わるものの、その土台となる時間と空間は絶対である。つまり、すべての人が同じものさしと同じ時計を使っているという前提のもとで、動くものの速さを比べていた、ということです。

一方で、アインシュタインの発想はその逆でした。どんな観測者から見ても光の速さは絶対的に同じでなければなりません。だからこそ、光速を一定に保つために、時間と空間のほうを相対的に変化させると考えたのです。式でいえばこうです。

「誰から見ても絶対的に変わらない光速度c=観測者ごとに変化する距離÷観測者ごとに変化する時間」

光の速さが変わらないように、時間と空間のものさしを「相対的」に伸び縮みさせて帳尻を合わせる。つまり、これまで絶対だった時間と空間が、光速を基準にして相対的に決まる存在に変わった。この考え方こそが、特殊相対性理論の核心であり、ざっくりとした正体です。

 

常識を外して「時間の概念」を考えてみる

澤田涼著『東大研究員がゼロから考えてみた「宇宙の常識」』

ここでは、もう少し特殊相対性理論の理屈を実感的に掴んでみましょう。

具体的なイメージを掴むための訓練として、大雑把な説明にはなりますが、上のイラストを交えて列車の例えで想像してみます。速さvの列車が、速さcの光を追いかけている風景を想像してみてください。

古典的な発想の「1秒」をそのまま持ち込めば、地上でも列車のなかでも同じ1秒を使います。その1秒で光はcだけ前に進み、列車もvだけ前に進みます。したがって、列車の乗客から見れば、光は前方へ(c-v)だけ進んだように見えるはずです。

ところが、相対性理論のもとではそうはなりません。もし列車の乗客から「光はcより短い距離しか進んでいない」と見えるなら、それは、「まだこの電車は1秒経っていない」ことを意味します。なぜなら、光の速さが絶対にcである以上、「1秒」とは「光がc進むこと」に対応して定義されるからです。

すると、地上では1秒経っているように見えても、列車の乗客の時間は1秒経っていない。これが時間の相対性です。光の速度から時間の解釈を決めるわけです。

......と、説明されても少し混乱しますよね。でも、その混乱こそが大事です。そんな簡単じゃないですよね。理解しづらい理由は、私たちの感覚に「絶対時間」のイメージが深く染みついているからなのです。こうした古い観念を取り替える作業は、ただの知識ではなく試行錯誤の訓練の上に成り立ちます。

思索は簡単ではありませんが、誰かの答えをただ受け取るだけでは、本当の理解には届きません。特殊相対性理論のように、日常感覚からかけ離れた世界を理解するには、自分で悩み、考え抜く時間がどうしても必要です。

とにかく、私たちを悩ませた「速さの足し算の矛盾」は、時間と空間を絶対的だと信じて疑わずにいたために起こったものでした。古い思い込み(絶対時間・絶対空間)を一段ゆるめ、光速の不変性を最優先とした結果、私たちの「時間の流れ方」と「空間の切り取り方」が、観測者の運動状態に応じて変わる。

これが、アインシュタインの見抜いた「世界の本当の姿」だったのです。「常識を疑う」とは、知識を壊すことではなく、世界をもう一度自分の頭で見つめ直すことなのかもしれません。

プロフィール

澤田涼(さわだ・りょう)

東京大学宇宙線研究所研究員

奈良県出身。東京大学 宇宙線研究所 ICRRフェロー。
京都大学理学部卒業、同大学院理学研究科物理学・宇宙物理学専攻博士後期課程修了。博士(理学)。2024年4月より現職。2016年度京都大学総長賞(共同受賞)など受賞多数。専門は宇宙物理学。(2026年1月時点)
X:https://x.com/ryo_sawada

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