1. PHPオンライン
  2. 仕事
  3. 「よし、やろう」危機に陥った書店・有隣堂の社長が乗り出した超弩級の新しい挑戦

仕事

「よし、やろう」危機に陥った書店・有隣堂の社長が乗り出した超弩級の新しい挑戦

ハヤシユタカ(『有隣堂しか知らない世界』プロデューサー)

2025年07月18日 公開

「よし、やろう」危機に陥った書店・有隣堂の社長が乗り出した超弩級の新しい挑戦

登録者数38万人を突破したYouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』。老舗書店である有隣堂による公式チャンネルで、いわゆる企業YouTubeとしては異例の規模を誇ります。この大人気チャンネルはどのように生まれたのでしょうか。『有隣堂しか知らない世界』プロデューサーのハヤシユタカさんの書籍『愛される書店をつくるために僕が2000日間考え続けてきたこと キャラクターは会社を変えられるか?』より紹介します。

※本稿はハヤシユタカ著『愛される書店をつくるために僕が2000日間考え続けてきたこと キャラクターは会社を変えられるか?』(クロスメディア・パブリッシング)より一部を抜粋編集したものです。

 

老舗書店は危機に陥っていた

――2019年秋 ゆうせか誕生の1年近く前

「書店業界は超弩級の新しいことに挑まないと滅んでしまう」

2019年秋。『有隣堂しか知らない世界』が始まる1年ほど前。有隣堂の松信健太郎副社長(現社長)は、事あるごとにこの言葉を口にしていた。

この日も僕の前でぼやいていた。

僕たちがいたのは、羽田空港・国際線ターミナルの「サクララウンジ」。JALグループの飛行機を何度も利用する上顧客が、搭乗前に利用できる場所だ。お酒飲み放題、軽食食べ放題。特に評判なのはJALが長年、製法を門外不出にしているという特製のオリジナルビーフカレーで、ファンが大勢いるのだとか。

当時、YouTube とは別のことで有隣堂に関わっていた僕は、JAL上顧客の松信さんに同伴したことでラウンジを利用でき、悲願のビーフカレーを口にすることができた。目眩がするほど美味しく、五感の全てをカレーに集中したかったのだが、副社長のボヤキを無視するわけにはいかない。耳を傾ける。

「そんなにヤバいんですか?」
「ヤバいですよ。もうずーっと売り上げが下がり続けていて、それで何がヤバいって、いま働いている従業員に"成功体験"がないんですよ」
「あー、なるほど......」
「だから何をやるにしても自信がない。何でもいいから、何か成功体験がないと、従業員はますます自信を失ってしまう」

有隣堂は創業家が長く経営に関わってきた企業だ。

1909年、創業者・松信大助氏が会社を立ち上げて以来、松信家の人間が経営の中心を担っていて、目の前でボヤいている松信健太郎さんはこの時、7代目の社長就任が目前と言われていた。しかし、それが喜ばしいハッピーな話でないことは明らかだった。

書店業界は今、大きな試練に晒されている。

映画、テレビ、ゲーム、インターネットといった娯楽の多様化による本離れ。スマートフォンやタブレットで読める電子書籍の台頭。紙の本を買うにしてもAmazonで頼めば翌日に自宅まで届く。挙句の果てに「漫画村」のような違法な"無料で読める漫画サイト"が次々と登場する。

紙書籍の販売部数は1988年、雑誌は1996年をピークに下降を続けていて、出版物の推定販売金額で見ると1996年の2兆6564億円から、2020年は1兆2237億円と46.1%にまで低下している。

つまり25年以上ずっと「前の年より悪い」状況が続いているわけで、その頃以降に入社した従業員は一度も「成功体験」がないのだ。

松信健太郎さんが後に受けたウェブメディアのインタビュー記事によると、「従業員の気持ちが小さくなってしまっていて、5000円の什器を導入するのにも遠慮してしまっている状況」らしい。

しかも全国の書店は次々と潰れていき、2008年の1万7383店から、2020年は1万2343店にまで減少している。有隣堂も他人事ではない。書籍の売り上げは目に見えて減っていて、危機はすぐそこまで迫っているようだった。

まさに斜陽産業・オブ・斜陽産業。そんな中で松信さんはまもなく社長になるのである。

 

業界がザワつく新しい試みに次々と挑戦していたものの...

そんな彼がずっと訴えてきたのが、先述の「超弩級の新しいこと」だ。羽田空港の国際線にいた理由もそのひとつ。「誠品生活日本橋」のオープンのためだった。

誠品生活は1989年に台湾で創業。当初は書店としてスタートしたが、現在は雑貨やファッション、カフェ、アートギャラリーなどを複合的に展開する大型商業施設に成長を遂げた。店舗数も次々に増やしていて、現在は約40店舗。高級ホテルやマンションまで運営している。

台湾では知らない人がいないほどのお店で、現地では「文化の象徴」とまで言われている。縮小を続けている日本の書店とは対照的だ。

その誠品生活が2019年に日本への初進出を決めた際、運営会社を探している話があり、松信さんは有隣堂で引き受けたいと手を挙げた。

台湾を代表する企業へと飛躍したそのノウハウを学ぶため、というのが理由だが、100年を超える老舗書店が、自社の社名「有隣堂」の名前を一切出さずに新店舗を出すという決断は、生半可な覚悟ではなかったと思う(2019年9月「誠品生活日本橋」としてオープン)。

松信さんはこれまでも、大型商業施設「東京ミッドタウン日比谷」に書店と居酒屋とアパレルと眼鏡屋と理容室が一堂に会する店(ヒビヤ セントラル マーケット)を出店するなど、業界がザワつく新しい試みに次々と挑戦していた。

しかし、それでもまだ「成功体験が......」と口にするあたり、結果に満足できていないようだった。

 

「YouTubeやってみたらどうですか?」

有隣堂しか知らない世界
『有隣堂しか知らない世界』3周年で公開された動画には、松信健太郎社長が登場した。

僕はひとつの提案をした。

「YouTubeやってみたらどうですか?」
「えっ?」
「企業YouTubeってヤツです。どうですかね」

これは決して、松信さんにYouTuberになってみたら? という意味ではない。有隣堂という企業が自ら情報を発信するメディアとして、YouTubeチャンネルの運用をしてみたらどうですか、という提案だ。

「企業がメディアを持つっていいことだと思いますよ。なんと言っても自社の情報を自由に発信できるのが大きいですし、もしかしたら広告収入とかで稼げるかもしれないです」
「なるほど......」

2019年当時、YouTubeは、タレントの本田翼さんや辻希美さん、お笑い芸人の中田敦彦さん、カジサックさん、霜降り明星さんなど、多くの芸能人が自らのチャンネルを開設し、大きな盛り上がりを見せていた。ところが、企業が積極的に活用している例は少なかったと思う。

チャンネルを開設している企業はあったものの、ほとんどがCMの映像を使いまわしていたり、ほぼ編集していない映像をなんとなく公開していたりで、「YouTube独自のコンテンツ」を制作するほどの気合いの入ったところは、見当たらなかった(主観です。存在していたのかもしれないけど僕は知らなかった)。

日本一の自動車メーカー、トヨタが『トヨタイムズ』を始めたのがまさにこの年で、その時も少し話題になった程度だ。

今でこそ、広報・PR戦略として「オウンドメディア(企業が自社で所有・運用するメディア)」なんて言葉が新聞や経済誌を賑わせているが、この頃はその概念すら珍しかったと思う。

僕はそれが不思議で仕方がなかった。既存の広報・PR戦略はとにかくストレスがかかるからだ。

例えば自社で新商品を発表するという時、その情報を広く伝えるための方法といえば、新聞や雑誌、テレビなどの既存メディアに「取り上げてください!」と、売り込むのが一般的だ。

しかし、この方法はとんでもなく労力がかかる。

いくらメールやリリースを送っても無視され、電話をかけたら無愛想な応対をされ、対面で説明しに行ったら、忙しいアピールの記者やディレクターにクソ迷惑そうな顔をされる。

そして、やっとこさ取材に来てくれたと思いきや、いざ掲載された紙面や番組を見ると、自分たちの意にそぐわない形に編集され、しかもたったこれだけの尺(紙面)かよ! ということが、まぁ多い。
社長のインタビューを1時間かけて撮ったのに、放送は15秒......? なんてこともザラだ。

自分たちのコントロール下で行う方法として、テレビCMなどの広告を打つという方法もあるが、莫大な金額がかかる上に、伝えられる情報量は少ない。

そんなストレスを払拭できるのが「企業YouTube」だ。

メディアを自分たちで持てば、「自社の伝えたいこと」をいつでも自由に発信することができるし、たくさんの人が見てくれる媒体になれば発言に影響力を持つことだってできる。新商品や新サービスを紹介してもいいし、世の中に提言をしていくこともできる。

例えば、松信さんが自社のYouTubeチャンネルで「漫画の違法アップロードサイトの運営者は許せん」といった発言をして、それが多くの人に見られれば、この問題がいかに書店業界を苦しめているかが、より多くの人に、速く、そして深く伝えることができたはずだ。

そしてもうひとつ、有隣堂ならではのメリットとして、これまで自社発信の広報・PR戦略に対して、積極的ではなかったというのがある。当時は広報部が存在していなかったくらいだ。

そんな有隣堂が「企業YouTube」を始めて、たくさんの登録者数や視聴回数を集めるチャンネルになれば、従業員にとって新しい挑戦での「成功体験」になるし、関東圏内の人たちにしか知られていない「有隣堂」という名前も、全国に広く知られるようになるのではと思った。

......というようなことを、絶品のカレーを食べながら話した。

松信さんは即断だった。

「よし、やろう」

 

関連記事

アクセスランキングRanking

前のスライド 次のスライド
×