考え方1つで「幸せの種」はいくらでも見つかる
自分の境遇をなげくと、あらゆることについて心にブレーキがかかってしまいがちです。
「こんな給料が安い会社に就職してしまって、私は不幸だ」
「あんなわからず屋の上司の下で働く私は、不幸としか言いようがない」
こんなふうに会社での境遇をなげく人は、仕事へのやる気にもブレーキがかかってしまうでしょう。
のみならず、プライベートの生活を楽しもうという気持ちにもブレーキがかかってしまうに違いありません。
本を読んだり、勉強したりして、自分の教養を深めようという意欲にもブレーキがかかってしまうでしょう。
結局、会社にいても、自宅にいても、どこにいても、前向きに自分の人生をよくしていこうという気持ちは起こらず、のんべんだらりとした無気力な生活にどっぷりつかってしまうようになると思います。
人は「恵まれない境遇にいる=不幸なこと」と考えがちです。しかし、その人が幸福か不幸かは、けっして境遇で決まるのではないと思います。
むしろ、幸福はその人の「自分の人生への考え方」で決まるのではないでしょうか。どのような境遇にあろうとも、「私は幸せだ」と思えば、幸せの種はいくらでも見つかります。
そして自分の境遇にかかわらず、積極的に人生を楽しむ方法を見つけ、前向きな気持ちで自分を向上させていくこともできるようになります。
しかし「私は不幸だ」という考え方にとりつかれてしまうと、何事にも消極的になって怠け者になっていってしまうでしょう。
不満が心のブレーキになる
古代中国の思想家、孔子には次のようなエピソードが残されています。孔子が町中を歩いていると、ひどく貧しい身なりをした老人が、いかにも楽しそうに琴を演奏しながらニコニコと歌をうたっていました。
孔子は、「何が楽しくて、そんなふうにニコニコしていられるのですか」と尋ねました。
すると老人は、次のように答えました。
「私はお金がなくて貧しい人間だ。偉い人間でもないし、名声もない。しかし人間に生まれてくることができたのだから、こんなに楽しいことはない。このようにして琴を演奏して、歌をうたうこともできる。しかも若くして死んでしまう人がいる中、私は100歳近くまで長生きすることもできた。こんな幸せなことはない」
老人の話を聞いて、孔子は「この人は人生の達人だ」と感激したと言われています。この老人は貧乏で社会的な立場も低く、いわば恵まれない境遇で生きています。
しかしこの老人は、「私は不幸だ」と考えていません。むしろ「私は幸せだ」と考えることができているからこそ、恵まれない境遇でも、琴の演奏をしたり歌をうたったりして、前向きに人生を楽しんでいるのです。
そのような老人の生き方に感激して、孔子は「人生の達人」と呼んだのです。100パーセント満足がいく境遇で生きている人など誰もいないと思います。
誰であっても自分の境遇に1つか2つ不満を持っていると思います。しかし、その不満に思う点にばかり気をとられるのではなく、もっと自分の人生を肯定的に考えていけば、エピソードの老人のようにもっと前向きに積極的に生きることを楽しんでいけるのではないでしょうか。
心にブレーキをかけるのも「自分の考え方」だと思います。考え方をちょっと変えてみれば、心からブレーキがはずれ、人生はスイスイといい方向へ前進していくと思います。
不満を持つことが心のブレーキになります。自分の人生を肯定的に考えていきましょう。
【植西 聰(うえにし・あきら/著述家、心理カウンセラー】
東京都出身。学習院高等科、同大学卒業後、資生堂に勤務。退職後、「心理学」「東洋哲学」「ニューソート」などに基づいた人生論の研究に従事。1986年、研究成果を体系化した『成心学』理論を確立し、著述・カウンセリング活動を開始。1995年、産業カウンセラー(労働大臣認定)を取得。他に、「知客識」(僧位)、「心理学博士」の名誉称号を持つ。現在は、著述を通して多くの人々に喜びを与えている。
著書に、『「折れない心」をつくるたった1つの習慣』(青春新書)『「いいこと」がいっぱい起こる!ブッダの言葉』(王様文庫)『ゆるす力』(幻冬舎新書)『悩みを「力」に変える100の言葉』(PHP新書)『「ムカッとくる怒り」がスーッとおさまる本』『みんなが気づいていない チャンスに変えるきっかけ90』(以上、PHP研究所)など多数がある。