松下幸之助は「憲法」をどのように考えていたのか
2012年12月27日 公開 2024年12月16日 更新
《特設サイト「松下幸之助.com」月刊松下幸之助 より一部を抜粋》
先の2012年12月16日におこなわれた衆議院総選挙において、自民党が大勝、政権をとり戻しました。
民主党への不信感が如実に数字にあらわれた今回の選挙において、争点になったのは、経済成長・景気浮揚策、消費税問題、そして原発問題でしたが、それらに隠れて目立たなかったとはいえ、国家の最重要事項である問題がありました。
9条改正をめぐる「憲法」問題です。
これは松下幸之助が生きた時代から論議され続けてきたことであり、松下も、本人いわく「憲法についてはまったくの素人」といいながら、あえてこの最重要事項に憂国の発言をしていました。
松下は、それまで温め続けた自身の政治・経済に対する考え方をいったんまとめ、1965年から『実業の日本』誌と『PHP』誌に「あたらしい日本・日本の繁栄譜」を同時連載、諸問題について言及していきました。そして3回目にとり上げたのは、「憲法」問題でした。松下はその冒頭でこう前置きをしています。
「私は憲法についてはまったくの素人である。したがって、ここでいわゆる学問的に憲法を論ずることはできないし、またそのつもりもない。しかし、たとえ素人であり、通俗的な意見しか述べられないとしても、憲法について関心をもち、みずから考えてみることは、国民の一人としても非常に大切な、かつまたぜひしなければならないことだと思う」。
では松下は、具体的にこの問題をどう考えていたのでしょうか――。まず松下は、真の繁栄を生み出す憲法の三原則として以下を挙げました。
(1)人間の本質、人類共通の普遍性に立脚する(普遍性)
(2)国家の個性、国民性に立脚する(国民性)
(3)時々刻々に移り変わっていく社会情勢に相応じた時代性をもつ(時代性)
現在の日本国憲法においても、(1)は実現されているようにみえるかもしれません。しかし(2)や(3)はどうでしょうか。戦後つねにとり上げられてきた9条改正も、その視点で是非がいま問われているといえるでしょう。近年の隣国との摩擦の激化が、その必要性をさらに国民に強く問いかけています。これからはじまる安倍政権も自衛隊を「国防軍」とすることを公約に入れました。憲法9条改正は、安倍氏の持論でもあり、隣国の目に見える軍事的脅威が存在する中で、この問題は急展開をみせるのかもしれません。それでは松下は、この「国防」という点でどう考えていたのでしょうか。
(上記三原則のもと、日本国民が日本独自の発展をはかっていくという)使命の達成を阻もうとする行為があった場合は、国民はどういう態度をとるべきかということが問題になってくる。私は基本的には、「国の内外を問わず、日本国民全体の責任においてこれを排さなければならない」と思う。たとえば、国内で政治家自身がこの国民の使命を達成するにふさわしくない行為をするという場合があれば、われわれ国民はその政治家の更迭を図らなければならない。それは政治の主権者たるわれわれの正当な権利、義務であって、そうしなければ国民主権の体制をよりよく生かすことができないであろう。こうした日本国民の悲願、念願なり使命というものを、十分に考慮に入れない個人、団体の活動は、国民全体の立場からやはり是正されなければならないと思うのである。
また国外におけるものとしては、他国が侵略の戦争をしかけてくる場合だけでなく、平常の外交においても、このような考え方のもとに、受け入れるべきは受け入れ、排すべきは排す自主性ある態度をとりたいものである。現行憲法の前文には、「……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」ということがうたわれているが、私はこれには、何か自主独立の態度に欠ける他人任せのいわば居候〈いそうろう〉的考え方を感じる。われわれにとって最も大切なこの安全とか生存というものを、このように人に任せているということでよいのだろうか。これでは、みずからの生存と安全の責任を他国に負わすことであって、独立国としては無責任な態度となるのではないだろうか。もちろん他国民を信頼すること自体は間違いではないけれども、それによってみずからの安泰を期そうというのは間違っている。私は安全と生存というようなものは、やはり人間としてまた国家として、みずからがなすべきことをなしてこそ初めて保持しうるもので、そうすることが真に自主独立した国家国民がとるべき態度だと思うのである。
そして同連載の7回目では、以下の具体的私案を掲げ、憲法前文の改正をおこなうべきと主張しました。
<日本国憲法前文(私案)>
日本国および日本国民の繁栄、平和、幸福を念願して、ここに新しい日本の憲法を制定する。
われら日本国民は、過去の歴史におけるすべての人類と等しく、平和を愛好し、物心ともに豊かで幸せな生活を望み、広い自由と高い秩序のもとに限りなく生成発展していくことを念願する。
この念願を果たすために、われら日本国民は、真理に従い、普遍的人間性にもとづいて正しい社会正義を打ち立て、日本国民としての権利と義務を正しく自覚実践する。またわれらの祖先が築きあげてきた長きにわたる歴史、伝統を受け継ぎ、われらの国土を愛するとともに、世界に比類のない天皇を象徴とした国民主権の民主主義体制を誇りとしつつ、われらとわれらの子孫のために、常に新しい時代に即した発展への道を求めんとするものである。これが今日に生きるわれら日本国民に与えられた崇高な使命であり、この使命は、全世界の諸国家、諸国民から等しく賛同支持を受くるものと確信する。
もしこの使命の達成を阻もうとする行為があれば、国の内外を問わず、日本国民全体の責任においてこれを排さなければならない。
われら日本国民は、かかる精神にもとづいて日本国を運営し、世界の諸国家と協調しつつ、全人類の繁栄、平和、幸福に寄与せんことを誓うものである。
この私案にある日本国の「運営」について、松下はいつもみずからの経営体験をもとに考えたこともあってか、「国家経営」という言葉を使っていました。借金経営をきらい、国家の税金の無駄づかいに強い警告を発し、自身の経営のコツともいえる「ダム経営」を国家レベルで考え、無税国家論、収益分配国家論といった持論を世の中に提起したのです。
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