“昭和の上司”は部下育成がうまかった? かつての日本企業に揃っていた3つの条件
2025年08月26日 公開
マネジャーにとって、部下の育成は避けて通れない課題です。多くの人がその方法に頭を悩ませていますが、かつての日本企業には、今よりも人材育成の仕組みが整っていたと言われることがあります。本当にそうなのでしょうか。
立教大学教授で人材開発や組織開発を研究する中原淳さんは、部下育成には「フィードバック」が有効だと指摘します。
フィードバックとは「部下やメンバーに成果を出してもらうために、上司やリーダーの視点から相手の行動を客観的に伝え、ともに改善を図る手法」のことです。
ここでは、中原さんの著書『増補改訂版 フィードバック入門』から、日本の部下育成の構造について書かれた一節をご紹介します。
※本稿は、中原淳著『増補改訂版 フィードバック入門』(PHP研究所)より内容を一部抜粋・編集したものです
「昔の上司は人を育てるのがうまかった」は本当か?
さて、まずタイムマシンに乗って、部下育成があまり問題視されていなかった頃に時計の針を戻します。
「かつての日本企業には、人材育成の仕組みが整っていた」
そんな通説が、特に年配者の間でよく語られています。ここで言う「かつて」というのは、バブル以前の頃、日本が高度経済成長を遂げた時期を指しています。
また、上司から、「俺が中間管理職だった頃は、もっと部下の指導をしっかりしていたものだ」などという昔話をされたことのある人も多いと思います。
このような話を聞いて、「昔の日本企業は、定年まで雇うことを前提としていたから、人をしっかり育てる意識を持っていたんだな」とか、「昔の上司は、人を育てるのがうまかったんだな(正直、今の上司の姿からは想像できないけれど......)」と思った方もいるかもしれません。
しかし、これらの昔話が「正しかった」と判断できる根拠は、実はそう多くはありません。
人には「昔」や「かつて」を美化して語る懐古趣味があります。「昔の上司は人を育てるのがうまかった」というのも、その一つだと考えられます。そんな話は「眉唾」であると私は思います。
では、なぜこのような「神話」がつくられてしまったのか。
それは、当時の職場には、上司が特に意識して人材育成を行わなくとも「部下が育つ」諸条件が一通り揃っていたからです。
その条件とは、「長期雇用」「年功序列」「タイトな職場関係」の三つです。
新卒で入社したら定年まで雇用が保証される「長期雇用」、実績よりも年齢や勤続年数が役職や賃金を決める「年功序列」については、説明は不要でしょう。三つ目の「タイトな職場関係」とは、長時間にわたって、同じ空間で行動をともにすることを意味します。
かつての日本企業では、残業をいとわず今よりもずっとモーレツに働いていて、1日10時間も11時間も一緒に仕事をすることが珍しくありませんでした。土曜日は午前中のみの"半ドン"ではありましたが、週休1日制を普通に敷いていた企業もたくさんありました。そのことを肯定するわけでは決してありませんが、上司と部下が長時間一緒にいられる環境があったことは事実です。
さらに、いわゆる「アフター5」に同じ職場の人たちで飲みに行ったり、休日も上司と部下が釣りやスキーなどのレジャーに繰り出したりすることも当たり前でした。社宅に住んでいれば、会社の枠を越えて家族ぐるみのつきあいにもなります。だから、上司と部下は、互いの性格を自ずと熟知していました。
実は、「長期雇用」「年功序列」「タイトな職場関係」の三つが揃うと、部下は勝手に育つ可能性が高まります。
第一に、「長期雇用」だと、すぐに結果が出なくても、長い目で見てもらえます。皆さんは、「人が大きく育つ瞬間」とはいつだと思われるでしょうか。それは、「成功体験」をしたときよりも、「大きな失敗」をしたときです。
たとえば、期日通りに注文した商品を納品できず、取引先に多額の損害を与えてしまったとします。そんな経験をすれば、納期に間に合わないような状況を二度と起こさぬよう、綿密に手を打つようになるでしょうし、仕事に対する姿勢も変わってくるでしょう。このようなミスをしでかしながらも、それを乗り越えて人は成長していくわけです。
しかし、現在のように短期的な結果が求められる環境では、大きなミスをしたら一発で見限られてしまう可能性があります。長い目で見てもらえたのは、長期雇用が前提だったからです。だからこそ、若い社員は、失敗を恐れず何度も学ぶ機会を得られたのです。
第二に、「年功序列」の会社では、定年までの道筋が一定なので、部下から見て、上司は、自分の将来像を示したロールモデルになります。
だから、部下も「今がしんどくても、15年も経てば、高級車のクラウンに乗れるようになる」と思えるので、モチベーションが高まりますし、「課長のような仕事をこなせるようになるためには、今、何をすべきか」が明確にわかりますから、正しい方向で努力できます。上司と同じ道のりを歩んでいるので、上司が「俺の若い頃はこうやっていたんだ」と言う自慢話のようなものも、今後の参考になりました。
第三に、「タイトな職場関係」だと、上司や先輩が部下と職場で長い時間を一緒に過ごすので、上司や先輩の仕事ぶりをじっくりと観察できます。
反対に、上司や先輩社員も若手社員のことを長時間見ていたので、特に意識しなくても、改善すべき点を的確に指摘できました。今のように、皆が皆忙しいわけではなく、当時の部課長には時間的にも精神的にも余裕があったと述べる実務家も少なくありません。
このような環境が揃っていれば、人が勝手に育っていくのも納得でしょう。
すべての制度や環境が「整合的」に組み合わさっていたので、とりわけ人材育成を施策として推進しなくても、「人が育つ環境」が揃っていたのです。つまり、「人が育つという現象」は、たまたま制度や環境が「整合的」であったことの「副産物」として生まれていた、ということになります。
バブル崩壊で変わった人材育成

バブル崩壊以前は、ほとんどの日本企業に、このような「人が育つ環境」がありました。
ところが、バブル崩壊によって、ここに「軋み」が生まれます。
バブル崩壊後、企業に余裕がなくなったことで、「長期雇用」も「年功序列」も「タイトな職場関係」も徐々に「色あせて」きました。早期退職制度などのリストラによって長期雇用が崩れたり、年功序列をやめ、若手の大胆な抜擢が行われるようになったのは、記憶に新しいでしょう。
また、同じく90年代から、1989年のトヨタ自動車における組織改革を皮切りにして、いわゆる「組織のフラット化」が進められてきました。経営トップの意思を末端社員まで素早く伝えたり、逆に末端社員の情報を素早く吸い上げるために、いくつもの階層に分かれていたピラミッド型の組織から、階層を減らした文鎮型の組織に変えていったわけです(図表2)。
階層が減れば、当然、中間管理職の数は少なくなります。その結果、1人の中間管理職が抱える部下の数が増え、10〜20人もの部下を抱える管理職が急増しました。中には、100人以上の部下を1人で抱えているマネジャーもいると聞きます。
しかし、1人のマネジャーが管理できる部下の数には限界があり、それを超えて過剰な人数を管理しようとするとパフォーマンスが下がってしまうという研究群があります。「スパン・オブ・コントロール(Span of control)」という古典的な研究です。
この研究群の知見によれば、「同じ目標を共有する5〜7人の部下を直接管理することが1人の上司の限界」とされています。にもかかわらず、組織のフラット化によって新人マネジャーが10人以上の部下をいきなり抱えれば、きちんと面倒を見られない部下が出てきて当たり前です。
また、長期雇用に関する慣行が徐々に失われて、かつ転職が当たり前になったことで、「この会社の人に、必要以上に気を遣うことはない」と考える若手が増え、残業やアフター5のノミニケーションを嫌がる傾向が出てきました。こうして「タイトな職場関係」も崩壊していきました。
以上のような経緯から、近年になって日本の若手が育つ「三つの条件」が失われたわけですが、そのことに当時の経営も人事もあまりに無頓着であったようにも感じます。
当時、こうした「意図せざる逆効果」に関してはあまり注目されてこなかった経緯がありますので、当時の若手、すなわち現在の中間管理職は、上位者から効率的かつ理にかなったやり方で「仕事を教わった経験」をあまり持っていません。
かくして、今の中間管理職は、どのように部下を育てればよいかがわからないまま、今の立ち位置に放り込まれてしまったのです。
若い頃に「精神論」や「根性論」の教育を受けて嫌な思いをしているので、「あんなことはしたくない」と思っているものの、実際にどうすれば人が育つかという具体的な答えは見いだせていません。
私が、今の中間管理職の人に対して、「あまり自分を責めることはない」と言うのも、おわかりいただけるのではないかと思います。部下が育たないという現象は、構造として生み出されているのです。








