村上憲郎・元グーグル日本法人社長の 「営業・商談」でのモノの言い方
2013年03月01日 公開 2024年12月16日 更新
『THE21』2013年3月号 総力特集[「できる大人」のモノの言い方]より》
「相手を操る」のではなく「相手の立場」で話す
無口なトップ営業が教えてくれたこと
メーカーのエンジニアから外資系企業のセールスに転身。プロ経営者として外国企業の日本法人社長を歴任し、グーグル日本法人の社長、さらには会長職を務めた村上憲郎氏。講演や座談での巧みな話術でも知られ、自ら「口から生まれてきたような男」という村上氏。インタビューは、今回の特集自体に疑問を呈するかのような(?)鋭い指摘から始まった。 <取材構成:川端隆人/写真:永井浩>
「こういう特集のニーズがあるということは、たとえば40歳くらいになっても、まだ『話すのが苦手だ』と悩んでいる人がいるということなのでしょうね。『コミュニケーション能力』という、わかったようなわからないようなものが重視される昨今の風潮の影響でしょうか。ビジネス誌の記事だけでなく、企業の人事部門まで『コミュニケーション能力を重視』などというようになってきていますから。しかし、ほんとうにそれは正しいのか。
有名な話ですが、スティーブ・ジョブズにしてもビル・ゲイツにしても、決して『コミュニケーション能力』が優れているわけではない。むしろ会議中に物を投げたり、いきなり相手を罵倒したりといったとんでもないことをする人たちです。
あるいは、営業職でも話し下手なのに驚くほど売る人がいます。私が技術職からセールスに転じたとき、営業の何たるかを教えてくれた先輩はまさにこのタイプ。メーカー相手にミニコンピュータを売っていたのですが、Kさんというその先輩は新製品が出るとお客さんのところにパンフレットをもっていき、ろくに話もせずに黙っている。するとお客さんのほうがパンフレットを熱心に読んで商品説明をしてくれて、いつの間にか受注してしまうわけです。
もちろん、これは誰にでもできることではないですが、特殊な商品を専門家相手に売り込むというような場合、お客さんのほうが商品に詳しいということは当然ある。私のようにおしゃべりなタイプはつい滔々と商品説明をしてしまうのですが、相手は『お前にいわれなくてもわかっているよ』と思っている。商品の性質にもよるでしょうが、営業職はしゃべりすぎてはタメなんです。
とはいえ、私がおしゃべりなのはしょうがない。自分のスタイルだからです。それは生まれ持った資質、どんな環境で育ったか、ということに密接に関係しているから変えることは難しい。同様に、口下手な人が流暢に話せるようになるのも難しいでしょう。
ですから、ありもしない理想の話し方を身につけようとか、これまでの自分とは違った話し方になろうというのは間違い。人それぞれ自分の心地よい話し方があるはずで、それにこだわったほうがいい。おしゃべりだろうと口下手だろうと、だから仕事ができないということはないわけですから。
私自身の話し方はというと、どんな場合にも普遍妥当性のある真理を語ろうとは思っていません。自分はこうしてきた、自分ならこうするという話だけをする。営業で提案するときも、交渉の場面でも、『私があなただったらこうします』とほんとうにその人の立場になって話す。
それ以外に、他者を納得させるコツや、絶対の技術はないのです」
ファクトを積み重ねて論理展開を構成する
相手の立場になって……というと、相手をよく理解し、ものの見方や考え方を共有して話すという意味に聞こえる。だが、村上氏のいう「相手の立場になる」の意味は、ちょっと違うようだ。
「たしかに、相手の人柄、ものの考え方などを推し量って、それに沿うように話すとうまくいくというアドバイスをする人もいますね。それはそれでいいのですが、私の流儀はそうではない。
自分とは別の、独立した人格である他人のことをそう簡単に理解することはできません。その人の思考や価値観を理解できるなんていう言い方は不遜とも思います。そもそも、他人の内面を理解してうまく話を進めるというのは、相手の人格を手段化するようで好きになれないのです。
ですから、私がいう『相手の立場に立って話す』というのは、あくまでもそのポジションに自分がいたらどうするかを話すということ。自分のことを話すわけですから、正しいかどうかはわかりません。相手が説得されるかどうかもわからない。
ただ、こういう言葉は説得には至らないとしても、相手に『入る』のです。つまり、『そのとおり』と思ってはくれないとしても、『なるほど、お前のいうこともわかる』『村上さんのいうことも一理ある』とは思ってもらえる。
私は話しすぎの下手くそな営業だったといいました。それでも仕事をしてこられたのは、説得ではなく、この『入る』水準をめざしていたからかもしれません。合意するかどうかは次の話で、まずはこちらのいうことに一理ある、と思ってもらおうと。それでも相手が買わないというなら仕方がないでしょう。
このように、説得するのではなく自分ならこうしますよということだけを語る。この原則に立って、さらに技術的に気を配るべきことがあるとしたら、論理構造を強調する話し方をすること。
具体的にいうと、私は話すときに文章と文章の間に論理的な接続をくっきりとさせる接続詞を意識して入れるようにしています。『だから』『しかしながら』『とはいっても』といった接続詞です。順接、逆接、話題の転換といった論理的な接続性を強調するように話している。ちょうど、数学の答案を書くときに∴(ゆえに)とか ∵(なぜならば)といった記号で明確に論理構造を記述していくのと同じです。
こういう話し方をすると、相手は次にどんな話題がくるか予想しやすい。そして、細かな内容は理解していなくてもおおまかな論理構造がわかっていればなんとなくわかったような気になる。すると『一理ある』と思ってもらいやすいし、場合によっては『こいつのいっていることは正しいかも』と感じてもらえるのです。
逆に、論理構造が明確でなく、『○○で、~~で、××で……』とただ話題を並べていくような話し方だと、たとえ内容は正しくても相手は『どういうこと?』と理解を諦めてしまう。話し下手だと自覚している人は、論理の構造には気を使うようにしたほうがいいでしょう」
こうした村上氏の「話し方」の流儀は、グーグル日本法人社長時代に遺憾なくその威力を発揮したという。
「グーグルでの私の役目は謝ることだったといっても過言ではありません。前例のないことをやる会社ですから、コンテンツ業界をはじめとして、既存のプレイヤーとの摩擦は避けられません。何かあるたびに私が謝りにいくことになりました。
たとえばYouTubeにテレビ番組が違法にアップロードされる。こちらで削除してもまたアップロードされる。こういう問題が起きたら、テレビ局なり民放連なりにお詫びするしかありません。また、先方としてはYouTubeのようなけしからんサービスは停止しろといいたくもなるでしょう。けれども、さすがにそれは受け入れられない。
そんなときこそ、私は自分がコンテンツをつくる立場だったら、と考えて話すのです。すると、『私もテレビは大好きだから、なんとかテレビ局が生き残る道を探りたい。時代の大きな流れからすれば、ネットに抵抗しても勝てるわけがない。それよりも、ネットを使えば東京タワーからの電波が届かないところまで番組を送信できるじゃないか。そう考えると、YouTubeを敵視するより利用するべきです。東京のキー局どころか、いまならグローバルキー局になれるんですよ』と話すことができる。
説得とはいいがたくても、しかし、コンテンツ業界の方々は何かを感じてくれたし、ある程度グーグルとの共存の妥協点は見つけられたと思っています」
自分なりのやり方でいくしかない、とはいっても、やはり他人の評価は気になる。村上氏自身が若いビジネスパーソンと話していて感じることとは。
「年が若くても信頼できると感じるのは、ファクト(事実)の積み重ねでものを語る人です。推測、憶測、感情、あるいは倫理や道徳とか、そういった事実ではなく“価値”に属する要素を入れてくる人は評価しません。『いい悪いは別として、こういうことですよね』という話を着実に重ねていける人は信頼できる。
とくにこの年になると、新しいことは若い人に教わることが多いですから、そういう場面で、事実の積み重ねで説明できる方は『よく勉強しているな』と感じます。私自身が『頭でっかち』タイプだから、というバイアスはあるとは思いますが」
もっとも、人の評価を気にしすぎるのは禁物。村上氏は、「話し方」の極意を示唆するこんなエピソードを語る。
「子供のころから人前で話すことが多かったのですが、最初のうちは壇上に立つたびに緊張してうまく話せませんでした。なぜあがるんだろうと考えてみると、『自分を実際以上に大きくみせようとしているからだ』と気づいたのです。『普段の自分のままでいいじゃないか』と。それ以来、人と話す場面であがることはなくなりました。話すことが苦手だと感じている人は、まずはカッコつけないこと。自分を大きくみせようとすることをやめてみることです」