コロナ禍の後、時代は大きく変わりました。
ものの値段は上がり続け、日本全体が中流意識を持っていた時代はもう遠い昔。「松」か「梅」かの2択になり、「竹」はなくなっていくような空気を感じます。
SNSのお得情報に振り回され、早いもの勝ちと煽られて、本当によいものをじっくり選ぶ気持ちの余裕をも失ってきているのではないでしょうか?
本稿では、そんな日々の生活のなかで大切にしたい心のゆとり、「余白」についてミニマムリッチコンサルタントの横田真由子さんに解説して頂きます。
※本稿は『余白を大切にする人だけが知っていること』(PHP研究所)より一部を抜粋・再構成したものです。
「正義」を振りかざすと余白から遠ざかる
スマホの普及とともに、得るものは多くなりましたが、なくしたものもある気がします。
たわいないことを何でも話せる友人との会話でも、名前が思い出せない俳優さんの話題となると、すぐにスマホで検索。話が早くていいけれど、「誰だっけ?ほら......」「うーん、〇〇さん?」などと、とんでもない名前が出てきて、ふたりで大笑いするということは、今はもうなくなりました。
ユーモアには、余白が欠かせないと思います。
ユーモアとは緩急だったり、緊張と緩和だったり、相反する気持ちや空気をきちんと見られる心の余裕がなければ生まれないのではないでしょうか。
ユーモアのある人は、心に余白があるので、一方からではなく、他方から見られる視野の広さと想像力、そして思いやりがあります。
「正義があるところには、余白はない」と言った人もいました。
確かに、正義って、人それぞれです。人の数だけ正義があります。
正義を振りかざしてしまうと、余白からはどんどん遠ざかっていくのではないでしょうか。
例えば、正しい答えでも、正面から突き付けられたら、「それは、そうだけど......」「わかってはいるけれど......」と、飲み込みづらいことがあります。
すっと飲み込めて心に沁みる答えには、余白があるのです。
正義はゴツゴツしていて、余白はふわっとしている。
正義を振りかざさないことは、大人としてのマナーかもしれません。
正義で、勝ち負けを決めてしまわないことが大切だと思います。
余白が含まれていない場所は、正しさという硬い力に引っ張られてしまう。
正しいことを言いたくなったら、余白のある時間を過ごして、ユーモアで包んでみる。そんなユーモアの包み紙は、余白でつくる色とりどりの折り紙です。
【余白を大切にするLesson】
「正しいこと」より
「面白いこと」を言ってみる
「グッド・ルーザー」として後輩の成長を見届ける
「負けたときこそ、グッド・ルーザーであれ」
甲子園の決勝戦で負けたとき、ある監督が生徒たちに伝えた言葉です。
「グッド・ルーザー」とは、「よき敗者」です。潔く負けを認め、相手の勝利に敬意を払い、試合に関わった人たちに感謝できる人のことです。
負け試合は、人生で何度も経験します。
そのときの悔し涙や後悔が、明日へのエネルギーとなりますが、勝者である相手に対しては、惜しみない拍手を送り、敬意を表す。負けたときの振る舞いのあり方を改めて教えられました。
つらいとき、ピンチのときほど、成長するチャンスなのでしょう。
余白は「伸びしろ」でもあります。
負けには原因があり、課題があることは、まだまだ成長できる余白があるということです。
若さが素晴らしいのは、「伸びしろだらけ」だからということでしょう。
私は、自分より10歳も20歳も年下の友人から、この「伸びしろ」という余白の可能性や未来への希望を感じて、元気をもらっています。
何十年という付き合いの中、幾度となく会っているうちに、彼女たちはいつの間にか、山の頂上付近までどんどん登っています。
山を下る年齢になった私を追い抜いていくことには一抹の寂しさもありますが、それ以上に大きな喜びを感じます。
この気持ちは、子育てに似ているのかもしれません。
後輩との関係は勝ち負けではありませんが、年老いていくことで、体力や生き物としての輝きでは負けていくことを、受け入れていかなければなりません。
最近では、若い友人たちに会うたびに、「負けの美学」について考えるようになりました。
夢を持って東京に出てきて、バイトをしながら苦しい生活を送っていた時代を経て、夢を叶え、海外でも仕事をするようになった後輩を見つめながら、人生の先輩である私は、そろそろグッド・ルーザーになる日が来たのかなと感じます。
これからは、「下り坂でも美しい背中を見せられるように」と思っています。
【余白を大切にするLesson】
人の成功を目にしたら、
グッド・ルーザーになって認めてみる







