続発する「ツイッター反政府デモ」
2011年02月21日 公開 2022年12月22日 更新
ベンアリ政権の犯した「誤り」
世界中で革命が勃発している。インターネットを媒体として国民が連帯し、政権を倒そうという動きが急加速しているのだ。
チュニジアでの「ジャスミン革命」を契機に、アラブ諸国にも革命の嵐が広がっている。ネット普及率30%を超えるチュニジアに吹いた怒りの嵐は、マグレブからシナイ半島に到達し、ついにはアラビア半島をもうかがう勢いだ。
各国政府は頭を悩ませている。インターネットによる世論は、国境どころか権力の弾圧の壁すら軽々と越え、不満を抱えた若年層に、あっという間に浸透していく。
あたかもそれは、1989年から始まった東欧革命のようだ。あのときはテレビの衛星放送だった。自国の現実を知ったルーマニア、ポーランドなどの国民の怒りが連鎖し、ついにはソ連邦を崩壊させた。いまやそれが、イスラム教のアラブ諸国で始まったのだ。
ジャスミン革命の発端は、貧困に苦しみながら警察の嫌がらせを受け、結局、焼身自殺を図った一人の青年の死からであった。それをきっかけに首都チュニスにまで暴動が広がり、ベンアリ大統領は亡命、無血革命が成った、と伝えられている。
少なくとも当初の日本の報道ではそうであった。
しかし実際は、そこに重要な役割を果たした革命のもう一人の「主役」の存在が抜け落ちている。それは、ツイッターやフェイスブック、あるいはウィキリークスなどのマイクロメディアである。
贅を尽くしたベンアリ大統領一族の私生活は、たしかにチュニジア国民に広く噂されていたものの、それを確認する術はなかった。ところが、ウィキリークスが公表した文書が国内の空気をいっぺんに変えた。例の米国務省の40万点にもおよぶ公電文書の一部が、隣国リビアの首都トリポリの米大使館から流れ出し、ベンアリ一族の具体的な所業が明らかになったのだ。
数頭のトラを飼うことなどは朝飯前。国民から気に入ったヨットや別荘などを奪うなどして、横暴のうえで豪奢な生活が成立していたことが暴露されてしまったのだ。
こうした大統領一族の私生活の実際の様子が、ソーシャルメディアによってあっという間に若年層に広まった。
焦ったベンアリ政権は、ここで致命的な間違いを犯した。ウィキリークスなど、都合の悪いインターネット情報を閲覧できないよう、回線を遮断したのだ。
チュニジア政府は、ツイッターやフェイスブックの力を見くびっていたのかもしれない。貧困と失業に喘ぐチュニジアの若者たちは、ソーシャルメディアという自由すら奪われたことに怒りを爆発させ、ついには政権を転覆させたのである。
「これは世界最初のウィキリークス革命である」(『オンラインニューズ』)
いくつかのウェブ新聞はそう書いた。まさしくそれはインターネット革命であった。
「チュニジアに続け」を合言葉に……
ツイッターやフェイスブックによる反政府デモは、昨年から世界中で頻発している。
イラン、モルドバ、タイ――。
日本の新聞・テレビではまったくといっていいほど報じられていないが、じつはそれらは、ソーシャルメディアを媒体として反政府デモが発生しているという共通点をもっているのだ。
いったん鎮圧されたイランやモルドバの反政府デモが再燃したのは、ほかならぬツイッターによる再呼びかけがあったからだ。
タイに至っては、タクシン元首相が亡命先のUAEからツイッターとUstreamでもって連日反政府デモを呼びかけ、それに若い農民たちが呼応したという背景がある。
チュニジアで発生したインターネット革命の波はもはや止めることはできない。アルジェリアではブーテフリカ大統領の退陣を求めるデモが発生、若者と警官隊が衝突し、イエメンでは大学生が数千人規模のデモを組織してサレハ大統領の退陣を求め、ヨルダンでも同じく内閣総辞職を求めて大規模デモが発生している。
エジプトでは「チュニジアに続け」という合言葉のもと、ムバラク政権打倒を掲げた数十万人の国民によるデモが発生、政府はツイッターを禁止して応戦している(1月28日現在)。
自殺を禁じたイスラム教の教えに逆らう焼身自殺も、サウジアラビアやモーリタニアに広がっている。
ソーシャルメディアによる革命は、世界地図をも変えようとしているのかもしれない。