松下幸之助は「株」のことをどのように考えていたのか
2013年05月27日 公開 2024年12月16日 更新
《特設サイト『松下幸之助.com』今月の「松下幸之助」 より一部を抜粋》
アベノミクス効果で、ドル高円安トレンドに転換し、日経平均株価も上昇、日本経済が回復の兆しを見せはじめています。しかし新たな策にはリスクがつきものです。
今後の経済・市場動向を、国民はいっそう注視していかねばなりません。
アベノミクスでは、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の3つが柱となっていますが、松下幸之助はかつて日本経済の繁栄のために、「株」というものに目をつけ、その活用についての政策提言をしていました。
1967年秋、いまから半世紀近く前に、松下幸之助は「株式の大衆化で新たな繁栄を」と題した提言を、『PHP』誌で発表しています。健全な個人大衆株主を増やし、いわば国民総株主という姿にしていくことがきわめて望ましいと考え、2010年には個人株主比率が60%に達する状態が理想だと訴えました。
太平洋戦争敗戦後の日本では財閥解体などの構造改革もあってか、個人株主比率は高く、一時は60%を超える状態にまでなったといいます。しかしその後、次第に法人の扱いが増し、当時は40%ほどに下落していました。
その原因について、「一言でいえば、株を持っても利回りが引き合わない」のだと松下は述べています。しかしもちろん、投機を主目的にした株式投資を推奨したわけではなく、「一般の人が喜んで株に投資し、それを長期にわたって保持することが結局利益になるような配慮を、企業もまた政治の上でもしていかなくてはならない」ともいっています。
ちなみに株価の変動によって儲けを狙う人が、株を購入する主体になることを松下が好ましく思わなかったのは、幼少期に父が米相場で失敗して家が没落し、ずいぶんと苦労したこと、さらには戦前から一経営者として、インフレやデフレによる物価の不安定化と、それにともなう人心の混乱を目の当たりにしたことが影響しているのかもしれません。
閑話休題、松下が願うところ、その根本には、常にPHP(物心両面の繁栄を通じた平和と幸福)の実現がありました。共存共栄という言葉もよくつかいましたが、それは簡単にいえば「みんなが豊かに」ということです。その理想実現のために、まず経済面、とくに物価や株価はつねに安定的であるべきだとの主張は徹底していました。そして個人株式の保有という点でいえば、自社に持株制度をつくり、社員に大いに推奨していました。この制度の効用について、『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(1977年に刊行。日本のあるべき姿をストーリー仕立てで描いた松下の著作。登場させる架空の政治家やリーダーの言葉を借りて、自身の主張を述べたもの)のなかで、登場人物である渡辺局長(通産省)の言葉を借り、こういっています。
「やはり仕事の意義、仕事の使命というものをある程度考えて、その尊い使命に自分はたずさわっているのだというところに、人間として産業人としての生きがい、働きがいもあるのではないでしょうか。そして、そこに身も心も打ち込み、あわせて財産も打ち込んで、自分の会社に投資して、その面からも社会に貢献し、同時に自分もそのいわば報酬としての配当を受けとるということが望ましいと思うのですが……。自分も株主になれば、いわばその会社の真の主人公ですからね。そういう目で会社を見、自分の仕事を見るということにもなりましょう。愛社心というものも自然にわきおこってきやすいと思います。従業員であると同時に株主として会社を向上発展させ、そしてその成果を賃金、給与と配当という二重の形で受けとるということで、従業員としても、会社としてもきわめて好ましいことですし、そしてそのことはひいては国家社会全体にプラスになるでしょうね」
もちろん衰退の兆しが見える企業であれば、自社株を持たせるということは、個人資産目減りのリスクを負わせることにつながりかねず、それが愛社精神を向上させることになるかどうかはおおいに疑問でしょう。自社を発展させている経営者だから、いえることなのです。
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