(写真:稲垣純也)
女性向けキャリアスクール「SHElikes」を運営するSHE株式会社代表取締役の福田恵里さん。累計登録者数は25万人を超え、同社は44億円の資金調達を実施。さらに政府主催の「日本スタートアップ大賞2025」では審査委員会特別賞を受賞。福田さん自身も、Forbes JAPANの「日本の起業家ランキング」で4年連続TOP20に選ばれるなど、華々しい実績を重ねています。
しかし、そんな福田さんも大学時代は、「何をしたいのかも分からない」と悩む一人の学生でした。卒業後、起業家として歩み始めてからも、現在に至るまでには多くの苦労があったといいます。
本稿では、福田さんが起業を志すに至った背景と学生時代の葛藤を、著書『『私なんか』を『私だから』に変える本』より紹介します。
※本稿は福田恵里著『『私なんか』を『私だから』に変える本』(日経BP)より一部を抜粋・再構成したものです。
人生が動き出すきっかけの言葉
大学3年生になると、周りが一斉に就職活動を始めた。当時つきあっていた彼も、その一人だった。自己分析、企業分析......将来のことを考えて、行動する姿を横で見ながら、私はただ焦っていた。
私だけが何も見えていない。何をしたいのかも、何ができるのかも、分からない。
そんな不安と焦りだけが、ずっとあった。
とはいえ、周りに流されるままに就活を始めることには、どうしても違和感があった。
そんなある日、私の人生を大きく変えることになる本と出合う。
彼がたまたま読んでいた、経営コンサルタントの大前研一さんの本だ。その本にはこう書かれていた。
「人間が変わる方法は3つしかない。1つ目は時間配分を変える。2つ目は住む場所を変える。3つ目は付き合う人を変える。もっとも無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない」
頭をガツンと殴られたような感覚だった。私は「変わりたい、変わりたい」と心で焦るだけで、何も行動が追いついてないという事実に気づいたからだ。
当時の私はかなりの面倒くさがり屋。ぐうたらするのが好き。できれば一日中ソファでゴロゴロしながら漫画やYouTubeを見ていたい。
でもそれじゃダメなんだ。面倒くさがりな自分の特性を自覚しているからこそ、自分の決意や意志に頼るのではなく、強制的に「環境」を変えることが一番自分にとって合っているのかもしれない。
考えるより、まず動こう。やってみないと分からないなら、大前さんの本の通りに、とりあえず何かを変えてみよう。そんなモードだった。
そうして最初に取り組んだのは「住む場所を変える」ことだった。
アメリカ・サンフランシスコに留学することにしたのだ。
留学で失うものがあったとしても、時間とお金くらい。でも、人生が終わるレベルで失うわけじゃない。それよりも、そこで得られる経験や失敗のほうが、あとから振り返ったときに財産になるはずだと思った。
サンフランシスコを選んだのは、大学でスペイン語を専攻していたからだ。メキシコに近いカリフォルニア州なら、英語とスペイン語の両方に触れられる。いつか海外で働きたいという思いもぼんやりと持っていたが、特別な理由があったわけではない。
周りがスーツを着て面接に向かう中で、私は飛行機に乗ってサンフランシスコへ向かった。サンフランシスコが、起業家が集まるスタートアップの聖地だとは知りもせずに。
たった一言が火をつけた
サンフランシスコに来て、すぐに何かが見つかったわけではなかった。
最初は語学学校に通いながら、いろんな国から来た人たちと交流する、いわゆる普通の「留学生活」を送っていた。
あるとき、知り合いから誘われて、起業家が集まるコミュニティに顔を出した。当時の私は「スタートアップ」という言葉すら知らず、ITの知識もなかった。ただ、自分の知らない世界に触れることは好きだったから、誘われるがままにそのイベントに参加した。そんな中で出会った、1人の同世代の日本人起業家の存在が、私を強く突き動かした。
「何をやっているの?」という私の問いかけに、彼はあまりにもさらっと答えたのだ。
「Instagramの動画版のようなアプリを開発しているんだよ。これからスタンフォード大学の学生たちにユーザーテストをしてくる。日本でも絶対に流行ると思っているし、これで世界を変えるんだ!」
その言葉を聞いた瞬間、頭の中でいくつもの感情が一気に駆け巡った。
すごいとか、かっこいいとか、そんな言葉じゃ足りなかった。
とてつもなく悔しい、という感情に近かったと思う。
同時に、どうしようもなく羨ましかった。
ただ英語を勉強しに来ているだけの自分と違って、この人はもう自分のやりたいことを見つけて、この場所で勝負している。
いてもたってもいられなかった。
この留学が、「英語が話せるようになりました」で終わっていいのか。
いや、いいわけがない。
自分も、何かを持ち帰らなければいけない。
そのとき、初めて、自分の中に明確に火がついた感覚があった。
「絶対に同じ土俵に立ってやる‼」
ぼんやりと憧れていた「起業家」という存在が、初めて目標に変わった瞬間だった。
気づけば別人みたいに生きていた
起業家に魅了された私は、留学から帰国後、スタートアップの世界にのめり込んだ。
Twitter(現X)で気になる起業家やスタートアップ界隈の人たちをとにかくフォローして、「お会いしてお話が聞きたいです!」とDMを送りまくった。
ただの大学生に普通は会ってくれないだろうなと思ったので、「とにかく行動量で勝負しよう」、そう決めた。「20人くらいに送ったら1人はOKしてくれるのではないか。今の自分は何者でもないから失うものは何もない」。そう思い、断られても気にしない精神で、とにかく気になる人に声をかけ続けた。すると、声をかけた100人の中で10人くらいは実際に会ってくれた。
当時は大阪に住んでいたので、夜行バスに乗って東京へ通った。起業に夢中になっていた当時の私にとって、距離など関係なく、何度だって足を運んだ。そうしていくうちに、少しずつスタートアップの中でもつながりが増えていった。
社会に変化を起こそうと、インターネット変革期の激動の中で奮闘している起業家やスタートアップの人たちの姿は、本当に格好よかった。彼ら・彼女らに会う中で、「この人はこんなところが素敵だな」「この人にはまた違った起業の価値観があるんだな」と、憧れの人たちの考え方をパッチワークのように少しずつ自分に取り入れていった。そんな新しい思想や生き方に触れる毎日は、たまらなく刺激的で、わくわくした。
さらに少しでも近くでスタートアップの空気を感じたくて、できることは何でもやった。スタートアップのニュースサイト「TechCrunch」のイベントスタッフになったり、早稲田大学の起業家講座の運営などにも関わったりするようになった。名だたる起業家の話を、メモを取りながら必死に聞いていたのを覚えている。
次第に「東京に住んだほうがいいかも」と思うようになり、大学4年生で上京した。
週1〜2日は授業があったが、夜行バスで寝ながら大阪に向かい、朝9時から授業を受けて、終わったらまた東京に戻る、という生活をしていた。
留学前には何も見えていなかった自分が、たった1年で、意思を持って動き続けることができる、まったく違う自分になっていた。









