日本各地で哲学対話をひらいてきた永井玲衣さんが、写真家の八木咲さんと共に、「せんそう」について語ったり、聞いたり、考えたりする場をつくりたいと立ち上げた「せんそうってプロジェクト」。文芸誌『群像』での連載を経て、このたび一冊の本になりました。
戦争体験者が年々少なくなる中で、その体験を直に聞く機会は確実に失われつつあります。それでも、戦争について考えたい、話したい、聞きたいと願う人たちが集まってきた場では、どんな言葉が交わされてきたのでしょうか。永井さんにうかがいました。
自身の言葉が「せんそうってプロジェクト」のきっかけになった
――早速なのですが、せんそうってプロジェクトを始められた経緯についてお伺いします。あるインタビューで、ウクライナとロシアの戦争をきっかけに「せんそうって」プロジェクトを始められたと拝読しました。今回の書籍の中でも戦争が「遠い」という表現がありましたが、プロジェクトを始める前の永井さんにとって戦争はどのような距離にあったのでしょうか。
【永井】戦争は、遠いというわけではなかったと思います。ただ、本にも書いたように、ロシアによるウクライナへの全面侵攻を受けての集会で、「戦争に反対します」「戦争が嫌です」と口に出したんですよね。遠いとか、よくわからないと思っていたわけではなかったんですが、それにもかかわらず、戦争が嫌なんだと意識的に人前で言ったことがなかった。それに衝撃を受けて、このプロジェクトが始まったのかなと思っています。
――今回、「戦争に自分の言葉で向き合うこと」が哲学対話の一つのテーマだったと思うのですが、どうしてその必要性を感じられたのでしょうか。
【永井】戦争についての語りは非常に限られていると感じています。その一つが、いわゆる大文字の「戦争論」で、それは例えばロシアの在り方や日本の防衛政策、安全保障論といった話になりがちなんです。
戦争論として語られるときによくあるのが、知識がないと話せないというもの。実際にその側面もあって、学ぶことは必要だと思います。ただ、学び始めると、戦争が自分にとってどんなものとして立ち現れているか、人々の周りにどんなふうに訪れているかを言葉にする機会がなくなってしまう。
多くの人は「自分は知らないので語る資格がありません」と最初から閉じてしまう現状があって、そこに抗いたい気持ちがありました。学ぶことも大事だけれど、語り始めることも、もっと私たちの手に取り戻していいんじゃないか、と思うんです。
震えながらも対話の場に集まってきた人たち
――永井さんは哲学に対して「手のひらサイズの哲学」という言葉をいろいろなところで使われていると思います。世界大戦や今起きている戦争はどうしても大きすぎるテーマだと感じるのですが、それを手のひらサイズに引き寄せて話し合うために、何か工夫されたことはありましたか。
【永井】とにかくまずはうまく語るよりも「あなたの言葉をぜひ聞きたいんだ」と、素直に伝えています。
そのときに出てくる言葉は、常に途上のものなんですね。特に戦争や社会課題についての発言の機会だと、主張や結論を言わなきゃいけない気がして、考え途中のことを言うと「なんでそんなこと言うんだ」と言われるかもしれないと躊躇する人が多いと思うんです。でも、対話の中で出てくる言葉は常に途中のもので、次の人の話を聞いて考えが変わりうる、そういう変容可能性を持った言葉たちです。
だからこそ、そこであなたが発した言葉を結論だとはみなさない、一緒に考える途中の言葉をぜひ教えてほしい、それを聞きたいと思っている、という場作りを心がけました。
――参加者の方々は、「せんそうって」プロジェクトの対話にどんな理由で参加されていたのでしょうか。
【永井】感触として多いなと思うのは、「戦争について話したことがない人たち」です。ずっとこのテーマに興味を持って活動してきた人よりは、ずっと向き合ってこられなくて、でもそこにすごく違和感を覚えていて、話す機会もなかった人が本当に多い印象があります。
なので皆さんすごく緊張して来られるんですよね。震えながら来る人が多くて、よく勇気を出して来てくださるなと、いつも心が震えます。
「戦争について何も知らない」から関係が始まる
――先ほど、戦争は知らないと語れない、軽率なことは言ってはいけないもの的なイメージを持つ人が多いとおっしゃっていましたが、参加者が自分の言葉で語り出してみて、現場で見えた変化や、言葉にする意味を感じた瞬間はありましたか。
【永井】たとえそれが「自分は戦争について何も知らないんです」という語りだったとしても、戦争についての語りだと言えるんです。「何も知らないんです」「そうですか」で終わるのではなく、何も知らないとちゃんと言うことによって、戦争と関係することが始まると思うんです。
震える声で自分がどんなに戦争について知らないか、でも知りたいと思っているか、あるいはこういうことを感じてきたか、それがどんなに微かなものであっても、その人が戦争と向き合おうとして出てきた言葉です。それを責めることでも、「そうなんだね、素敵だね」と雑に認めることでもなく、まずは大切に聞かれることが大事なんだと、改めて現場に教えてもらいました。
もう一つは、「そういえばこんなこと聞いてきたかも」と、人々との語りの中で思い出して回復していく場面に立ち会うことが多かったことです。最初は「何も聞いてきていない、平和教育も受けていない、ニュースにも何も思ってこなかった」人も、誰かの語りを聞いて「あ、そういえばこんなことあった」と思い出す。まさに記憶の回復です。
大事だなと思うのは、そうやって語ると、わからないことが出てくることです。たとえば「うちの祖父は満州にいて…あれ、本当に満州だったかな」「なんで満州にいたんだろう」と、語りながら自分の中で不思議になってくる。
これまで当たり前のように内面化していたことを、見ず知らずの人の前で語り直すときに、自分の知識の不足や、「そういえばこれって…」という問いに出会う。そこで「もう少し調べてみよう」「なんでこうなのか考えたくなった」と、その場で閉じないような語りが生まれてくることが、すごく大事だなと思いました。
――本を読ませていただいて、私自身も小学生のころ祖父に体験談を聞いたことを思い出しました。防空壕があったと言っていたけれど、それはどこだったんだろう、と。
【永井】戦争はすごく大きなものなので、どうしても自分は受け身というか、大きなものに押しつぶされてしまい、語れない自分になってしまうと思います。しかし、人前で語ってみることは、自分もこんなふうに関わることができる、思うことができる、と主体性を回復していくような道のりでもあると思うんです。
――過去の大戦については、歴史としてのみ捉える人の方が多いと思うのですが、今回の執筆や活動の発信にあたって、単なる道徳的な反省やきれい事だけで終わらせないために、意識されていたことはありますか。
【永井】戦争を語るとき、私たちは被害の側面、例えば「もう殺されたくない」などと語られることが多いのですが、それはその通りである一方、どちらかというと「加担させられる」方がむしろ多い気がするんです。つまり加害者にさせられてしまう。
ただただ無垢な市民の上に爆弾が落ちてくる、ということだけではなく、もっと構造の中に組み込まれていって、どんどん加担してしまうことの方が大きいと思います。
ある大学で平和についての対話をしたときに、学生さんたちが「若者に平和を語る資格はあるんだろうか」という問いに立ち止まった場面がありました。すごく大事な問いだと思いました。その逡巡は、「若者は戦争を体験していない、そんな自分が語る資格があるんだろうか」という、誠実な躊躇だったんです。
そのとき、同席していた大学の先生が「君たちの年齢は、徴兵される年齢なんだよ。あなたたちは兵士になる側なんだよ」と言って、学生たちが「あ」となったんですね。
「若者に語る資格があるのか」と言っているとき、どこか戦争を他者化しているのですが、私たちの今の状況を考えると、加担してしまう、たとえば徴兵制のようになったときに戦争に行くのは自分たちなわけです。それはつまり巻き込まれることでもあるけれど、加害しなきゃいけない側にもなることで、そうなると誰が無関係なんだろうとも思うわけです。
常に私たちはヒリヒリと関係してしまっている。じゃあどうする、どうしたいの、と共に考えたいです。
(取材・構成:PHPオンライン編集部 片平奈々子)









