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日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉

成嶋弘毅(日本空手道『葉隠塾』塾長)

2011年03月03日 公開 2022年01月18日 更新

日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉

日本アニメの重鎮・竜の子プロダクション前社長であり、日本空手道「葉隠塾」の塾長でもある成嶋弘毅氏が、日本人が忘れかけている義理、情、大和魂を思い出させる言葉を『武士道』『葉隠』から解説。

元気をなくした日本人へ贈るメッセージを著者自身の経験から紹介する。

※本稿は成嶋弘毅著『日本人の心を奮い立たせるサムライの言葉』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

日本人が敬愛してやまない武士道の精神

日本人は不思議な民族です。右にならえが大好きかと思えば、あてがわれ、押しつけられることは拒みます。

第二次大戦後、信教の自由がもたらされてからも、キリスト教が主流にならなかったのは好例でしょう。聖書に絶対服従のキリスト教には、押しつけを感じるのです。

その一方で松下幸之助や本田宗一郎、坂本龍馬やイチローといった成功者の"教訓"は進んで取り入れるのが日本人です。「○△の神様」と崇め、「○△道」と名付け、敬愛してやみません。つくづく武士道的です。

私も10代より『葉隠』を座右の書に、武士道を心の拠り所にしてきました。父は早くに亡くなりましたが、母は私を武士道で育てました。

幼少期から思春期にあたる昭和20~30年代には明治生まれの旧士族も存命で、その言葉や生き様にも武士道の何たるかを学びました。

社会人となり紆余曲折を経て、30代後半からは株式会社タツノコプロダクションで海外市場を担当。以後30年にわたり、世界のディストリビューター(配給業者)相手にアニメーションを販売してきました。

最後の5年は代表取締役を務め、『ヤッターマン』復活のお手伝い等もさせていただきました。

またタツノコ入社前より門を構え、毎日指導してきた空手道場からも多くの立派な若者が巣立ってくれました。「空手を通じての人間教育」は生涯の仕事となりそうです。

 

「丸すぎる性格は自滅する」

「まろくともひとかどあれや あまりにまろきはころびやすきぞ」
『葉隠』の言葉です。丸い性格でもひとつくらいはカドを残せ。あまりに丸いのは転がるばかりで自滅するぞ、となります。

聖徳太子の昔から日本では「和を以て貴しとなす」とした人の和が大事にされてきました。譲り合うこと、波風を立てないこと。

最近、ものわかりのよすぎる人が増えています。こちらが何を言っても、営業スマイルで「そうですね」「大丈夫です」。本当に大丈夫ならよいのですが、そうでもないから困ります。

ギリギリの段階になって、慇懃無礼なお断りメールをいきなり送りつけてきたりします。なかにはそのまま音信不通になってしまう人もいます。このような人が発する言葉は、どこか上滑りしているように思われます。

自分の主張をひた隠しにして場をやりすごすことが、「和」ではありません。相手が受け入れやすいよう言い方を工夫したり、互いの損得が相殺される交換条件を提示したり、あの手この手で相手と利害をシェアする努力が「和」なのです。

言葉に自信を持っている人は強いです。タツノコプロ時代、実写映画版『ヤッターマン』の監督・三池崇史さんとお話しする機会がありました。

原作アニメが熱烈なフアンを持つ作品ですから、原作のイメージを理解し、かつ独自のセンスで再現できる人でなければ務まりません。失礼ながら私は三池さんの過去の作品はあまり存じ上げませんでした。

「愛があれば、僕は何をやっても許されると思います」

まっすぐに私の目を見て発した三池さんの言葉。これを聞いた瞬間、「あ、この人なら任せて大丈夫」と思いました。自信に裏打ちされた強烈な自己主張を包んだやわらかな印象。

予想通り、できあがった映画は大ヒットしました。和とは場を取り繕うことではありません。相手を思いながら堂々と主張するのもまた「和」なのです。

 

「忠昔は役には立たない」

「大かたは、人の好かぬ云ひにくき事を云ふが親切のやうに思ひ、それを請けねば、力に及ばざる事と云ふなり。何の益にも立たず。ただ徒(いたず)らに、人に恥をかかせ、悪口すると同じ事なり。我が胸はらしに云ふまでなり」『葉隠』の言葉です。

「人がいやがる、言いにくいことを言ってやるのが親切と思われている。そしてその忠告が受け入れられなければ、自分の力不足と思うものだ。とんでもない。忠告は何の役にも立たない。人に恥をかかせ、悪口を言うのと同じ。うさ晴らしで言っているだけなのだ」。

忠告についての教訓ですが、「無益なうさ晴らし」とバッサリ斬り捨てています。

しかし忠告を禁じているわけでもありません。意訳としますが、「まずよいところをほめ、いい気分にさせるよう十分工夫せよ。のどが渇いた時自分から水を欲しがるよう、相手をその気にさせ、欠点を直すのが忠告だ」。

原文ではさらに細かく、忠告の作法が説かれています。シンプルをよしとする常朝らしくもありません。

それだけ忠告は難しいのでしょう。私にも経験があります。後輩の相談に乗るべく話を聞いた時のことです。『葉隠』の教え通り、まずは彼をホメました。お酒も手伝い、彼の口も滑らかになり、沈んでいた表情にも陽が射してきました。そろそろです。

問題の原因と思われる彼の思い上がりについて、手短かに伝えました。前から気にはなっていたのです。彼は黙って聞いていました。

彼を先に帰した後、馴染みのホステスさんに言われました。「ああいう言い方をするとは意外でした。思いやりをもちましたか。自分の鬱憤を晴らしたかったのですか」。絶句する私にさらに一言。「私の言い方、嫌でしょう。あの方も同じだったのでは......」

忠告とは難しいもの。私もいまだ勉強中です。

 

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