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生き方

「自分の人生を好きになれない人」に医師から伝えておきたいこと

鈴木裕介(内科医/心療内科医/産業医)

2021年04月26日 公開 2023年09月27日 更新

「自分の人生を好きになれない人」に医師から伝えておきたいこと

「人生ハードモード」という言葉を耳にしたことはあるだろうか。

これは生まれた環境や置かれた状況によって、自分の意志とは関係なく数々の困難が襲いかかってくることを意味するゲーム由来のインターネットスラングである。近年言われるようになった「生きづらさ」とも類似の概念だ。

秋葉原でクリニックを営む鈴木裕介氏は、著書『メンタルクエスト』(大和出版)にて、"ハードモードな人生を抜け出すヒント"をゲームのクエスト(冒険)になぞらえて解説している。

鈴木氏は、同書の中で、"ハードモードな人生"から回復するカギは"信頼"であると語るが、一体どのようなものか。生きづらさの根本的原因とあわせて紹介していく。

※本稿は、鈴木裕介 著『メンタルクエスト』(大和出版)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「予測」と「期待」に裏切られると…

精神科医の水島広子先生は、「自分の人生はなんとかなる」と思えるようになるためには、次の三つの「基本的信頼」が必要だと言っています。

(1) 自分は大丈夫(自分への信頼)
(2) 他人は信頼できる(他人への信頼)
(3) 世界は安全で、怖くない(世界への信頼)

(3)の「世界への信頼」は、言葉としてピンとこない人が多いかもしれませんね。

「世界への信頼がない」とは、生きるうえで「見通しのつかない状態」と言い換えてもいいかもしれません。例えるなら、「バイオハザード」のようなサスペンスの世界です。

バイオハザードとは、ゾンビが徘徊する迷宮のような洋館からの脱出を目的とした、ホラーゲームの名作。どこから何が襲ってくるかわからないので、ドア一つ開けるにも細心の注意を払わなければいけません。

ここで突然ですが、質問です。

あなたは、東京で迷子になるのと、ブラジルの密林で迷子になるのとでは、どちらが不安ですか? あるいは、毎年流行するインフルエンザにかかるのと、未知の新型ウイルスにかかるのとでは、どちらをストレスに感じますか?

恐らく、どちらの答えも後者だという人のほうが多いのではないでしょうか。なぜなら、前者であれば「この先多分こうなるだろう」「予想外の事態が起こっても、せいぜいこのくらいの範囲に収まるだろう」と予期できますが、後者だとそうはいかないからです。

私たちは、ある程度の予期があるからこそ、日々をつつがなく生きていくことができるのです。

しかし、この予期も、しばしば私たちを裏切ります。

「予測」と「期待」をあわせ持つこの「予期」という言葉について、小児科医の熊谷晋一郎先生は、次のように述べています。

「ずっとこの人といられるだろうという予測や、ずっとこの人と一緒にいたいという期待は、当然裏切られることもある。このような予期を裏切る出来事を「予測誤差」と呼ぶことにしよう。

私たちが生きていくことは予測誤差の経験の連続でもある。たしかに予測誤差は快楽になることもある(ジェットコースターの楽しさがまさにそれにあたる)。だが予測誤差は痛みも伴う。

だからなるべく小さいほうがいい。予測誤差によって私たちはショックを受け、悲しみ、落胆し、そして驚く。それだけではない。一定以上の予測誤差を経験すると自分の予期自体が信じられなくなる。」(『臨床心理学』109号収録「『傷』の物語」より)

この 「自分の予期が信じられない」状態こそが、まさに「生きづらい」状態と言えるでしょう。あまりに不条理な出来事が多いと、人はそんなことばかり起こる世界のことが信じられなくなります。

こんな危険な世界を生き抜く自信がないと感じたり、こんな裏切りばかりの世界は生きるに値するのだろうかという葛藤を抱える。これが、「世界への信頼」がない状態です。

 

人間の世界観は、人生のはじめのほうに触れ合う、ごく少数の他者によってつくられます。一番影響力があるのは家族、特に親でしょう。それはソーシャルゲームのガチャ(くじ引き)と同じで、選びようがなく、また抗いようがないものです。

自分の人生のスタート地点にいた大人たちが、気分屋だったり、不安定だったり、暴力的だったり、「安心を与えてくれない存在」であった時、そこは子供にとって予測がつかない、「バイオハザード」の世界になります。これは個人の問題ではなく、「初期設定」のバグのようものです。

普通の人が何の気なしに開けるドアを、ゾンビが出てくるかもしれないと細心の注意を払いながらそーっと開ける生活を続けていたら、疲弊してしまうでしょう。こうした世界に生きる人が、他人を怖いと感じるのは自然なことです。

他人が怖いから、対人関係を避ける。そうなると、他人との交流の絶対量が少なくなるため、試行錯誤のチャンスがない。そして、対人関係の中で必要な「スキル」を得られず、関係をつくったり調整する能力が低下し、ますます他人が怖くなるという悪循環に陥ります。

そんなふうに生きてきたら、「どこに行っても人とうまくいかなくてしんどい」「こんな自分はダメなのではないか」という不全感を募らせるだろうことは、容易に想像がつきます。

これは、あなたに問題があるのではなく、最初の環境で不運にも「世界への信頼」を得られなかったことが影響していることは明らかです。

自分の予測や感覚が信じられない危険な世界の中で、安全を確保して生き抜いていくためには、「他人のニーズ」を満たし続けるしかありません。常に周囲の機嫌をうかがい、攻撃されないようにするのが最優先になるからです。

こうして、自分のニーズよりも他人のニーズを優先し、「他人の人生(クエスト)を生きる」図式が成り立つのです。そんな人生を心から楽しんだり、「前を向いて生きよう」と思うのはとても難しいですよね。

これが、初期設定によってハードモードな人生になってしまうからくりです。

あなただけではなく、同じような環境に生まれていたら、誰もが同様の世界観になるだろうことは想像に難くありません。決して 「あなた(自分)のせい」ではなく、環境によるシステムエラーであるというのが事実と言えるでしょう。

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「努力が報われた」「落とした財布が戻ってきた」…世界への信頼を取り戻す小さな経験

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