松下幸之助が「富士山」をたとえに話したこと
2013年07月30日 公開 2024年12月16日 更新
世界遺産に正式登録された「富士山」。日本人にとって、この古くから信仰・崇拝の対象でもあった「神の山」の名を、松下幸之助はしばしば、口にしています。1つは当然ながら、「観光資源」としての活用を説くときにおいて、でした。「観光立国」のすすめを、昭和20年代後半から世に問うていたのです。そしてもう1つは、「ものの見方・考え方」について語る際の「喩え」として、でした。
松下幸之助といえば経営者というのが世間一般の認識ですが、松下にも、サラリーマンだった時代があります。15~22歳の間、大阪電燈(いまの関西電力)に勤務していたのです。そこでは持ち前の勤勉さと技術力で頭角をあらわし、出世も早かったようです。そのことは自伝『私の行き方 考え方』に詳しいのですが、見習工から工事担当者に格上げになった折には、自らの姿を「富士山にでも登ったような気持で、自分ながら肩で風を切り颯爽たるものであったろう」と回顧しています。元気溌剌、自信満々、意気揚々といった感じでしょうか。
さて松下は、「ものの見方・考え方」に関して自らの思想・哲学をまとめ、発表した「PHPのことば」の「調和の思想」(昭和23年6月)の中で、富士山を「喩え」にこう述べています(『松下幸之助の哲学』に収録)。
「昨今、私たちの社会にいろいろの問題が起こっている中で、最も顕著なことは、人と人とがお互いに相争い、そのために多くのものが失われていることだと思います。そのわけを考えてみますと、各自の思想や主張について、これが絶対に正しく、これのみが真理なのだと考えるところから起こっているように思われるのであります。おのおのの主義主張は、たとえそれが正しいものであるとしても、往々、真理の一面あるいは一部分にすぎないことが多いのであります」
「富士山を見るのにも、その角度、季節、天候などによって、その色や影や形がさまざまに変化します。そのさまざまな容姿のうちの1つを捉えて、これが富士山の唯一の姿であると言い切ってしまうのは、少し軽々しすぎるのではないかと思います。現われるさまざまの姿を総合して、初めて、美しい富士の姿が考えられるのであります。真理についても同様で、1つの主張のあるところには、なお他に多くの聞くべき面があります」
「ところが今日の風潮は、自分の主張を押し通し、相手の言い分をまったく否定しようという傾向がしばしば見られます。お互いに私たちの国の再建を念願していながら、そのような行動をとったのでは、かえって再建を阻害してしまうのではないかと恐れるのであります。このような観点から、もう一度物事を見直していきたいと思うのであります。自分の主義主張の正しさを十分認識することは、まず第一に必要なことであります。と同時に、他の人の主張の中にある一面の真理をも認め、理解して、両者のよさを生かしていったならば、さらに高い、大きな真理を見いだせて、より広い視野の中に私たちの日常がひらけてくると思うのであります」
「ちょうど、富士山を前と後ろとから見ている2つの立場に対し、大空からその全景を眺めるような大きな立場にわれわれの生活態度をもっていきますと、そこに平和が生まれ、繁栄と幸福とが生まれる活動が展開されてくると考えるのであります」
ちなみにここで求めている生活態度を身につけるには、どうしても「素直な心」が必要になると、松下は考えました。「素直な心になりましょう」が、松下が戦後に始めたPHP活動のスローガンとなりましたが、このPHP活動を広めることにより、人々が「素直な心になる」⇒「強く正しく聡明な人が増える」⇒「社会全体がよりよくなる」⇒いずれ「世界全体に真の繁栄、平和、幸福が招来される」という構想を描いていたのです。
また松下は、経営の場においても、富士山を「喩え」に社員に発破をかけたことがあります。以下は昭和34年12月、松下電器の営業所長会議でのものです(『松下幸之助発言集25』に収録)。
「(お集まりの皆さんは)同じ松下電器の販売網を担当しておられる方でありますが、みな持ち味がそれぞれ生きていると思うのであります。その生きているというところによって業績というものが違ってくる。これも私は当然そうあるべきだと思うのです。しかし、持ち味が違いましても、行き方が多少違いましても、業績はやはり上がらなければいけない。こういうことをやはりどこまでも考えなければいけない。持ち味が違うということはわれわれは大いに認める。また経営のしかたも多少違ってくるということはある。しかしながら、そこから生まれるところの業績の成果というものは、これは変わってはならない。これはどんどん上がらなければいけないということを、同時に皆さんにお願いしたいと思うんです」
「富士山の絶頂を極めるということが、お互いの目的としましても、極める道は各自の健脚に応じて道を求めたらいい。しかし、頂上に登るという速さは、やはりなるべく速いほうがいい。またかりに遅れても完全に登るということが必要である。そのかぎりにおいて、その持ち味が違うことは、われわれは認めていくし、またそうすべきであると思います。しかし持ち味が違うことによって業績が悪くなる、業績が上がらないということは、これはやはり適格者でないということになるわけです。適格者でない者がその仕事をするということは、これははなはだ許されないことである」
非常に厳しい口調ですが、松下はこうした厳しさを、事あるごとに示していました。