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宮仕えするサムライの必読書 『武道初心集』に学ぶ組織人の心得~「絶交」

古川薫(作家)

2013年08月14日 公開 2022年12月28日 更新

宮仕えするサムライの必読書 『武道初心集』に学ぶ組織人の心得~「絶交」

戦国時代が幕を閉じ、到来した平穏な時代に生きる武士たちに、「いま」を有意義に生きるための処世術(心得)を大道寺友山は武士道書で説いた。

武士道書というと、「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」など、過激な言葉が充満する『葉隠』が有名だが、本書は現代ビジネスマンの心得にも通じる「サムライの生き方」が描かれている。

武士としての根本的な生き方や心構えを現代人の目線で解説する。

※本稿は、『【新訳】武道初心集 いにしえの教えに学ぶ組織人の心得』(PHP研究所)の内容を、一部抜粋・編集したものです。

 

大道寺友山が記した武士道

武士道書、くだけていえば武士道の教科書『葉隠』は、「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」の章句があまりにも有名だ。

江戸初期の同じころ成立しながら、あまり知られていない武士道書『武道初心集』にも、ほぼ同じことが書かれているが、『葉隠』ほどには過激でない。

『葉隠』の冒頭あたりに、これを読んだあとは「火中すべし」(焼き捨ててしまえ)と書いているのは、個人への忌悍なき批判や常軌を逸した文言がふくまれていることを自覚していたからであろう。もともと他見を許さないものだったのだ。

二本差しのサムライのことだから、けんかも刃物をふるっての争いとなるのが普通で、『葉隠』にはけんかのことがよく出てくる。

けんかに負けて仕返しをしないのは武士の名折れである、相手が大勢でも、ひるまずに向かって行き、それで斬り死にしろ、「死に狂い」は恥ではないなどと、危険なことを教える『葉隠』は、禁書あつかいされ、広く普及されなかった。

『武道初心集』は戦国時代を脱した平和な世の中で、宮仕えするサムライの節度ある言動を説いているので、武士の必読書に指定した藩さえあった。

木版本となって出回りはじめたのは、すでに幕末期に入り、近代が忍び寄る天保年間(1830~44)だったせいで、サムライの国での普及期間が短かったことも、多くの人の知るところとならなかった理由のひとつだろう。

『葉隠』は肥前・佐賀藩の山本定朝という老成した武士の談話を随時筆録した金言集といったものだ。

『武道初心集』のほうは、やや体系化され、文字通り教科書の体裁をととのえており、それじたいが敬遠されたといえなくもないが、21世紀のこんにちに至って、この武士道書がぼつぼつ読まれはじめている。

大道寺友山がこれを書こうとしたのは、乱世から遠のいたあとに続く無風状態のなかに放り出され、戸惑っている若者の群れを見てからのことだったのだ。

関ケ原の役、大坂の陣、島原の乱を経て、にわかに平穏となった社会に適応できないでいる武士たち、戦場と無縁となり、お城勤め(お役所勤め)となったサムライたちへの垂訓というほどの意味も持っていただろう。

『武道初心集』は、『葉隠』のように「死に狂い」に死ねとは言わない。武士たるものは常に死を覚悟しておけと冷ややかに教えるのだが、「まあ、いつもいつも死ぬことばかり考えていたのでは息がつまるというものだ」と、つぶやきもする。

閉塞情況に鬱屈する現代のサムライ・サラリーマンたちにとっては、錆びのある声で適度に大脳を刺激する地下からの響きに聞こえるかもしれない。

■大道寺 友山 (だいどうじ・ゆうざん) 江戸時代の兵法家
寛永16年(1639)、大道寺繁久の子として生まれる。長じて江戸に出て、小幡景憲、北条氏長、山鹿素行らに師事、甲州流軍学を学ぶ。兵法家として身を立て、『武道初心集』『岩淵夜話』『落穂集』などを著す。享保15年、92歳で没した。

 

絶交

【原文】

奉公つかまつる武士多き朋輩の中に、何とぞ仔細あって不通義絶の者もなくては叶わず。然るに主君の仰せをもって、その義絶の者と同役などに罷りなり候わば、早速その者の方へ罷り越し、
「我ら儀このたび貴殿と同役仰せ付けられ、則ち御請けに及び候。其許と手前儀は日比義絶の儀に候え共、既に同役と仰せ付けられ候においては、毛頭も私意をさしはさみ候ては、上の御為に罷りならず候間、向後の義は互いに隔意なく申し合わせ、とにもかくにも御用の相滞り申さざる様に之なくてはと存ずる事に候。其許の儀は当役においては先輩の義に候えば、諸事御指南を頼み入り申すほか之なく候。ただ明日にも貴殿我らのうちいずれなりとも他役にかわり、同役を離れ候わば、また義絶に及び候え共、それまでの義は随分隔意なく」
と、申し合わせ候ほか之なき段、申すことわり互いに心を合わせて、相勤めるとあるは武士の正義也。
(『武道初心集』第十七条)

武士の世界にかぎらず勤め人相互の人間関係には、微妙な問題が常に介在し、絶交という険悪な関係もあり得る。

ひごろ親密に付き合っている2人が、ささいな行きがかりで互いにものもいわなくなったり、エスカレートして犬猿の仲になったりする。

そのことがついに生涯絶縁のままに終わるということもあるのが、人間社会の微妙なところだ。

幼稚園などにみる子供社会では絶交、仲直りという現象が、日常的に繰り返される。仲直りして、親密な関係がさらに深まることが多いのは、成人社会でもめずらしくはない。集団のなかでの個人間の触れ合いは、年齢によらない人間力学である。

共通の敵にむかい生死をかけて激しく戦う戦場では、味方同士濃密にむすびながらも功名争いをしているのだが、平和な時代になって「宮仕え」するサムライたちが迎えた競争社会には、戦場とちがった人間集団のさまざまな問題が発生した。そのひとつが絶交であっただろう。

『武道初心集』松代本では、わざわざ「絶交」という表題を出し、原書の言葉をくわしくおぎないながら絶交したときの心得を説くのである。

厄介なのは何かのつごうで、絶交している相手と「同役」になった場合だ。仕事の上で毎日顔を突き合わさなければならないのはお互いにつらい。『武道初心集』が勧めるその解決法は、陰にこもらないサムライらしい決然たる行動である。

日ごろ不仲にしている同僚と同じ職場ではたらくようになったら、すぐその人物のところに行け、もし彼が先輩にあたる人なら、よろしく指導をとへりくだった上で、

なお明日にでもいずれかが役を離れることになれば、またもとのごとく絶交の関係にもどろうではないかと告げて、まずは心を一つにして、お役目ひとすじにっとめるのが武士の正義というものだという。

集団のなかでは必然的に生起する絶交の問題は、今もむかしもない人事現象だが、個人間の絶交だけでなく、複数の人間がからむと問題は複雑になる。

少し横道にそれるが、『広辞苑』に「しかと」という言葉が出てくる。「(花札の紅葉の札の鹿がうしろを向き知らん顔しているように見えることからという)相手を無視すること」とある。

そっぽを向くことや無視することを「シカトする」と言う。

「シカト」は、はじめヤクザや賭博師の間で使われた隠語で、警視庁刑事部による『警察隠語類集』(1956年)には、花札のモミジの鹿が、横を向いているところから、博徒らの間で「とぼける」の隠語「しかとう」が生まれたことを解説している。

はじめは「しかとう」だった。それが一字略して「しかと」となり、不良少年の間で、さらには一般の若者の隠語「シカト」となった。

中学・高校生の間では数人の者が、ひとりの個人を仲間はずれにすることに使われる。これは集団絶交であり、イジメに発展する。

イジメによって自殺者がでるなど、イジメが社会問題になっている現代では、『武道初心集』でいう絶交とは次元の異なる人事現象だが、まったく別のことでもない。

イジメのはじめは、個人間の絶交が複数に移って、構造化しシステムを形成して集団絶交に深化していく。イジメに参加し構成員となる個人の資質を、『武道初心集』では次のように規定する。

○ 原文口語訳 ○

況(いわん)や日ごろ特別不仲でもない者と、同じ職場ではたらいているときは、なおさら心安く入魂 〈じっこん〉 にすることはもちろんである。然るにやゝもすれば同役と権を争い、また新しく役について、諸事不案内な同役の者にたいしては、何かと気をつかい、首尾よく勤めさせてやるべきなのに、ふとした失敗を見てうれしがり、騒ぎたてたりするのは、実に見苦しく、武士の風上におけぬ輩である。そういう奴にかぎって、戦場では他人の首を盗み、味方討ちなど大不義を犯すのだ。
おそれ慎むべきことである。
初心の武士心得のため仍って件の如し。
(『武道初心集』第十七条)

 

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