戦艦大和の運用次第で、太平洋戦争の戦局は覆っていた!
2013年09月27日 公開 2024年12月16日 更新
戦局を変えられたインド洋作戦
大和の有効な戦略的活用ポイントは、もうひとつ挙げられる。それは、インド洋への投入である。真珠湾攻撃の成功後、日本海軍は昭和17年4月に、南雲機動部隊をインド洋に派遣し、セイロン沖海戦でイギリス東洋艦隊を痛撃した。この作戦終了後、日本海軍は大和以下の水上部隊主力をインド洋に投入し、通商破壊作戦に従事させるべきであった。
連合国、とりわけイギリスにとって、インド洋はアジア、アフリカとヨーロッパを結ぶ交通の要衝で、戦争遂行上、欠くことのできない補給の動脈だった。イギリス本国はオーストラリアからインド洋を経て食糧を、アフリカのイギリス軍は地中海をドイツに押さえられたために、インド洋を通じて軍需物資を得ていた。インド洋はまさにイギリスの命綱であり、それを断ち切ることができれば、イギリスを窮地に陥れ、第二次大戦の帰趨も大きく変わったに違いない。
しかもこの通商破壊作戦は、極めて成功する可能性が高かった。当時の英海軍は、マレー沖海戦とセイロン沖海戦に敗れ、アフリカへの後退を余儀なくされていた。さらに、英海軍は独海軍に対抗するために、本国や地中海のマルタ島にも戦力を割かねばならず、インド洋に艦艇を派遣する余力はない。
このような状況で大和と護衛用の小型空母を派遣していれば、インド洋の制海権はまず確保できたであろう。その時、大きな影響が生じるのは北アフリカ戦線である。昭和17年5月から、ドイツのロンメル将軍が北アフリカで快進撃を始めていた。この時、大和を中心とする日本海軍がインド洋を制していれば、アフリカのイギリス軍はロンメルの進軍を阻止できなくなる。やがて、ロンメルはスエズ運河を占領し、中東の石油を確保。さらに、スエズ運河を通じて、日独の中東での連絡も達成され、日本にも中東の石油が送られることになっただろう。
こうした日独の優勢が続けば、インドとアラブ諸国に与える影響は計り知れない。インドではただでさえ、緒戦における日本の快進撃を受けて、反英闘争が激化していた。そうした状況で日本海軍がインド洋を押さえれば、インドの独立運動は手に負えないほど激しくなっただろう。その独立運動の熱気はやがてアラブ諸斑にも波及し、イギリスが極めて深刻な打撃を受けたことは疑いようがない。
このように、大和の有効な運用方法は、いくらでもあった。大和は決して「無用の長物」などではなく、個々の海戦のみならず、第二次世界大戦の帰趨をも、劇的に変えてしまう力を持っていたのである。