『ザッケローニの哲学』の解説(1)
2011年03月30日 公開 2023年10月04日 更新
本書はアルベルト・ザッケローニ本人による自伝、ということで、非常に興味深く読ませてもらった。私がイタリアサッカー専門誌である『CALCIO2002』に携わるようになって12年、これまで数々のザッケローニ・インタビューを掲載してきたが、当然のことながら、メディアに発する言葉は、《着飾った》ものであることがほとんどのため、これほど本人の《素》が出ている内容のものは存在しない。そういう意味でも、本書の内容は非常に価値がある。
ザッケローニは、プロヴィンチャ(地方クラブ)であり、しかもセリエBからセリエAに上がったばかりであったウディネーゼを、当時のイタリアとしては非常に革新的であった3-4-3システムを駆使して、わずか3年で3位に導いた。ユヴェントス、ミラン、インテル、パルマ、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナの7強時代と言われていた当時のセリエAにおいて、プロヴィンチャのクラブが3位になるということは、まさに奇跡と呼べるものだった。当然、ザッケローニの名は、イタリア全土に響き渡った。だからこそ、本書もこの世に生まれることになったのだろう。
だが、ザッケローニのキャリアにとって、本当のハイライトは、その翌年に訪れる。ザッケローニは、ウディネーゼでの成功を手土産に、創設100周年を迎えるミランの監督に就任した。だが、前年、ミランが10位と低迷していたこともあって、ザッケローニの周辺は懐疑心であふれていた。ボローニャでの失敗を例に挙げて、「大やけどするだろう」と予想する者もいたし、楽観主義者ですら、「時間がかかるだろう。よい経験にはなるだろうが」というのが精一杯だった。ユヴェントス、インテルと比較して、明らかに見劣りした当時のミランと、ビッグクラブでの指揮経験のないザッケローニとの組み合わせでは、致し方ない面もあった。ザッケローニ本人も、後にこの時を振り返って、「ミラン初年度のシーズン開幕当初は、悲観論が漂っていましたね」と語っている。
しかし、大方の予想を覆(くつがえ)して、ザッケローニはミランに16度目のスクデット(優勝)をもたらした。低迷していたミランを、セリエAの監督として率いるようになってからわずか4年の、しかも就任初年度の《新人》が、スクデットに導いたわけだから、このインパクト、はすさまじかった。この成功によって、ザッケローニはイタリアのみならず、世界中のサッカーファンに知られる存在となったのだ。
以下、ミランで優勝直後のオフに、チェゼナティコのザッケローニの家、つまり、ホテル「アンプロジャーナ」で行ったインタビュー〔『CAICIO2002』99年8月発売号掲載〕を一部抜粋して紹介する。
-シーズン開幕前、ミランはあなたにどのように接近してきたのですか?
「ガッリアーニ(ミラン副会長)がいきなり電話してきたのです。びっくりしましたよ。最初は冗談かと思いました。ミランの監督に就任するなんてことはまったく予期していませんでしたからね。カペッロがミランの指揮を執るものだと確信していましたし。ウディネーゼの事務所にボーナスを取りに行った時に電話があったのです。『よかったら、うちに来ないかまと誘われました」
-それまでのミランの2年間の成績から見て、嫌な予感はしませんでした?
「ミランの内部にそれまで何が起こっていたのか、監督に就任した日から考えないように努めました。余計なことを考えず、ありのままのミランを見つめたほうがいいと思ったからです。人は《新旧交代の1年》とか《準備のための1年》と言っていましたが、中小クラブならともかく、ミランのような超ビッグクラブに《準備の1年》なんて存在するわけがありません。ミランは勝利を義務づけられたチームですからね」
-そのとおりになりましたね。
「ベテラン選手の行動には頭が下がる思いです。口数は少ないけれど、行動でチームに模範を示してくれたベテラン選手抜きには、スクデットは語れないでしょう。ロッシ、アルベルティーニ、マルディーニ、コスタクルタなどは練習場に真っ先に到着し、一番最後に去るんですよ。若い選手の手本になってくれました。ベテランと若手がうまくかみ合ったシーズンでした。ベテランは新たなモチベーションを持ち、若手は将来への野望が高まったシーズンと言えるでしょう」
-あなたの理想のサッカーとは何ですか?
「理想のサッカーは3つあります。まず、プラティニがプレーしていた頃のフランス代表のひし形の中盤、それにサッキ時代のミランのディフェンス、そしてゼーマン(ローマ)の攻撃です。サッキの防御とゼーマンの攻撃を研究した結果たどり着いたのが、《私の3-4-3》なのです」
-でも、今では《私の3-4-1-2》でしょう?
「おっしゃるとおりです(笑)。土壇場(シーズン終盤の6試合)で3-4-1-2システムに変えましたからね」
-ベルルスコーニ(ミラン会長)が「システムを変えろ」と指示したという話は本当ですか?
「戦術に関する決断は、すべて私です」
-スクデットを決めた日の夜、ベルルスコーニは『プレッシング』(テレビの人気サッカーニュース番組)に出演して選手を讃(たた)えましたが、あなたのことに触れなかったのはなぜでしょうか?
「残念ながら、その番組は見てないんですよ」
-もっとも、あなたも優勝直後のテレビ・インタビューで、ベルルスコーニの名前を出しませんでしたよね。サッキにしてもカペッロにしても、真っ先にベルルスコーニへの感謝の言葉を口にしていましたけれど。
「たったの30秒しかなかったんです。まずは選手たちのことを話すべきでしょう。実際
にプレーした遣手たちが主役ですから」
-あなたはサッカーをどれくらい見ますか?