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「一寸法師」で読み解く王朝武士の知られざる実像

関幸彦(日本大学文理学部教授)

2014年04月15日 公開 2021年10月07日 更新

「一寸法師」で読み解く王朝武士の知られざる実像

大江山(おおえやま)の酒呑(しゅてん)童子を退治した頼光(らいこう)、奥州蝦夷(えぞ)征伐を果たした田村麻呂(たむらまろ)、新羅(しらぎ)遠征の途上客死した利仁(りじん)将軍、平将門を討ち取った俵籐太(たわらとうた)――数々の伝説にいろどられていた「王朝武者」たち。

お伽草子や説話文学の英雄物語から、彼らの知られざる実像を読み解き、本稿では関幸彦氏の解説を加えて「一寸法師」にクローズアップしていく。

※本稿は、関幸彦著『武士の原像 都大路の暗殺者たち』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

お伽草子の「一寸法師」

おとぎ話の横綱といえば、誰もが知っている「一寸法師」だろう。摂の国の難波に住む年老いた夫婦が住吉明神に願をかけ、授かったその子は一寸ほどの異形の小人だった。

失意の両親は椀の舟と針の刀をもたせ、都にのぼらせる。やがて三条の宰相の館への出入りを許され、その姫を見そめた一寸法師は、三条姫君を舟で連れ出し、「きょうがる島(興がる島=奇妙な島)」へと漂着する。

そこで一寸法師は鬼に遭遇し呑み込まれるが、針の刀で退散させる。そのおり一寸法師は、鬼たちに「是はたゞ者ならず。たゞ、地獄に乱こそいできたれ。たゞ逃げよ」といわせて撃退した。

彼らは「暗き所」へと逃げ去ったが、鬼が残した宝の小槌の験力で一寸法師は背たけものび、金銀を打ち出し、姫とともに再び上京して夫婦となることを許される。やがて鬼退治の武勇が内裏に聞こえ、堀河少将とよばれるまでに出世する、とのストーリーだ。

この話の底流に住吉明神の霊験があることはいうまでもないが、前述の「物くさ太郎」と同じく貴種流離譚としても共通する。「一寸法師」もまた人の讒により流され人となった堀河中納言の縁者であったとの設定である。異能・異形の持ち主の出世には、貴種流離のモチーフが隠し味となっているところに、室町的小説の面白さがある。

ここでも、婚姻と富という「お伽草子」の話柄は共通するものの、「一寸法師」説話ではそれを獲得する手段が、三条の姫君との婚姻に関しては食物の策をめぐらす彼の智恵であった(貢物の米を姫がかすめたかのごとく三条宰相に思わせ、彼女を追放させるように仕向ける算段をする)。また富については、鬼退治による打出の小槌の獲得という機転と武勇にあった。

ファンタジー的世界が満載されている内容は、たしかに「お伽草子」の白眉とされるに値する。目眩まし的に配されている装置(針の刀、お椀の舟、三条姫君、鬼退治、打出の小槌)をつないでゆけば、貴種の末裔が都にのぼり、貴族の用心棒となり武勇で活躍、婚姻を介し名士となる。大枠はそんな流れということになる。お伽草子の武勇譚的世界は大なり小なり、右にかかげたストーリーに集約される。

そこには鬼・物怪・異類を排する武力とこれを実現し得る力量の持ち主への讃辞が底流にある。それを保障するものが勅・宣旨なり王威・朝威の力であり、霊威・法威という神仏の加護であった。その限りでは一寸法師のサクセスストーリーには兵や武士の姿を彷彿させる内容が想定できるようだ。

 

「一寸法師」の正体

武器を携え、武勇をもって鬼を退治する存在は、まさしく王朝武者のヒーローの原型をなす。一寸法師に語られている説話コードは、兵・武士の存在が投影されている。たしかに一寸法師は王朝武者の要件をそろえた存在といえそうだ。一種の匿名性を帯びるがゆえに、このストーリーは通有性と普遍性をもち得ると思われる。

考えてみれば「一寸法師」の「一寸」はたんに弱小という代名詞であり、これが成長するプロセスのなかにこそ、兵・武士への転身を読み解くべきだろう。鄙に生をうけ、侏儒的劣性をバネに知恵と武勇で都の貴族に認められ成功するこのモチーフには、逞しい力への憧憬も示されている。都と鄙を往来するなかで、都は自身をステップアップさせる場として登場していた。

三条宰相とその姫君との出会いにともなう転身の機縁の場こそが都だった。そしてそれを拡大・成長するための場が鄙(辺境)であり、そこでの鬼退治の武勇が功名を約束させた。兵的なものへと成長させる契機となったものが、都での王朝的権威との接触であり、これを前提とした鄙での鬼征伐譚ということになろう。

都鄙の地理的な隔たりは、心的な構造では浄と不浄、聖と穢、そして有縁と無縁という二項・二極の対抗として認識されるが、兵や武士といった武的領有者は領主と戦士という2つの側面を具有する(拙著『武士の誕生』日本放送出版協会、1999年。のちに講談社学術文庫、2013年)。

前者の領主については、有縁的空間を拡大し(「宅」の論理による拡大)、津・島・河・山などのアジール性を帯びた地域空間を包摂するように志向する。そして戦士という面では、その本来から有する不浄・穢との同居性(戦いにともなう流血も不可避)も併有していた。兵や武士という存在は、この2つの世界を架橋する媒介的存在だった。

元来、権門たる貴族(公家)や寺社家は血避観念を強く有していた(義江彰夫『歴史の曙から伝統社会の成熟へ』山川出版社、1986年)。兵や武士は、その血避観念を克服する存在として登場する。

こうした観点を前提にすれば、「一寸法師」は兵的存在と解することもできそうだ。貴族・権門の姫を守るべく、邪悪な存在(鬼)と流血をいとわず闘諍する行動は、兵と呼称するにふさわしい。

あわせて注目されるのは、この話の結末だろう。絵空事だとしても、一寸法師は功名で堀河少将・中納言へと累進し、都の名士へと転身する。武力・武芸を業として、権門へと自らを変貌させるというプロセスもまた、兵の軍事貴族化という流れに合致するようだ。

このあたりの事情を以下、もう少し別の角度から掘り下げておこう。

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「針の刀」あるいは「打出の小槌」

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