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真贋の眼を養う努力を~鍵山秀三郎

『衆知』編集部

2016年11月28日 公開 2024年12月16日 更新

《隔月刊誌『PHP松下幸之助塾』2015年3・4月号Vol.22 より》

真贋の眼なき私たちでいいのか

不幸せに突​き進む日本人

日本では、ほんとうにこんなことをしていたら国も個人も不幸せになりそうだと思える行動をとる人が増えました。それは町を歩く姿、行動やしぐさの1つひとつに表れています。

雑踏を歩いていても、自分に対向してくる人を避けようとしない。あるいはあとから来ていながら、いきなり行列に割り込んでくる。それで得をしたと思っているのかもしれませんが、実は逆で人生においては必ずマイナスなことにつながります。こういう人が増えているのを見ると、日本の将来はよくなるわけがないと感じてしまいます。

ただ、こうした風潮は企業社会がつくっているのだと思います。昔と違って評価の項目が細かく分析され、数字で示されるようになりました。社員同士の業績の競争も激しさを増し、それぞれ自分の意思決定が正しいか正しくないかについて敏感になりました。その上、企業も社員である個人も4半期、つまり3カ月の成績で評価されるような時代です。まったく息を抜くヒマがなく、かつてのように自分は大器晩成型だなどと言っておられません。

そうなると、人心もゆとりを失い、ギスギスしていくのもやむをえない気がするのです。このような状態で国として何を誇ることができるでしょう。そのことを私は心配しているのです。みんな刹那的になっています。少しでもムダなことはしたくないし、そのために他人の煩わしいことには関わりたくないのです。

戦後の極貧のころのほうが今より互助の精神はあったでしょうし、それぞれに夢がありました。今どきの私たちは豊かさの中にいながらゆとりがないのです。

江戸時代の儒学者で広瀬淡窓〈たんそう〉という人物がいました。淡窓の思想は「敬天思想」といわれており、人間は正しいこと、よいことをすれば必ず報われるというものでした。その淡窓の言葉に、「わがことのほかは少しもせぬ者は学問をしても使いようなし」という教えがあります。

学問とは世のため人のためにこそ究めるものであって、そんな意識がない者がいくら学ぼうが何をしようが、社会には何の役にも立たないというのです。江戸時代にしてすでにそういうことを喝破されていながら、今まさにそのとおりになっています。嘆かわしいことです。

 

感受性を高め合おう

経済は復活の兆しにあるといいながら、世の中全体は決して明るくありません。政治の責任はもとより大きい。その原因はどこにあるのか。インド独立の指導者だったマハトマ・ガンジーは、1925年にある雑誌に寄稿して「7つの社会的罪」というものを指摘しています。

それは、「1 理念なき政治」「2 労働なき富」「3 良心なき快楽」「4 人格なき学識」「5 道徳なき商業」「6 人間性なき科学」「7 献身なき信仰」というものでした。筆頭に掲げられている「原則なき政治」はまさしく今日の日本にもあてはまることだといえましょう。

これまで、そして最近も、とんでもない資質の人間が議員になっているのを私たちは見知っています。人前でみっともないふるまいをした県会議員がいました。また買収ともとれるような行いをした国会議員もありました。ほんとうになぜこうも厚顔無恥なことをし続けるのかという思いでいっぱいになります。

ただ、少し冷静に視点を変えてみれば、その結果というのは実は選んだ私たちの責任でもあることを忘れてはいけません。

ガンジーは「7つの社会的罪」の次に挙げるべき大罪として、「真贋の眼なき世」があるとも言っています。残念ですが、現在の私たちの責任はこのことなのでしょう。本物かどうかを見抜く力がないわけです。

かつて、どこかの国の国会議員が議員定数の削減を訴え、推進し、見事新しい制度を確立したあと、新制度のもとで行われた選挙では皮肉にも自分が落選してしまったということがありました。ただかれは、「自分にとっては不幸な選挙だったが、国民にとっては輝かしい勝利だ」と言ったそうです。

日本では多くの国会議員がそれぞれ議員の数が多すぎるといったことを言ったりしていますが、自分は犠牲になりたくないという思いがあるから、まったく大きな声にならない。みずからの敗北を進んで受け容れようという議員はまずいない。その結果、結局何も変わらないままという状況です。

映画のオーディションのほうがずっとフェアです。どんな有名な俳優だって、1回ごとにオーディションに臨み、適役でないとなれば落ちるのですから。

少しでも世の中をよくしていくために大切なことは、人と人が直接触れ合って、お互いに感受性を高めるということに尽きるのです。それが要するにガンジーが言う「真贋の眼」を育てることにほかなりません。

もうひとつ、やっぱり私は教育者のレベルを上げるべきだと申し上げたい。優秀な先生が現れても、社会に染みついた悪しき習慣に染まってしまいます。そうならずに、より教育者としての高い志をめざしてほしいものです。

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好都合が正しいのではない

著者紹介

鍵山秀三郎(かぎやま ・ひでさぶろう)

NPO法人「日本を美しくする会」相談役

1933年東京生まれ。’52年疎開先の岐阜県立東濃高等学校卒業。1953年デトロイト商会入社。1961年ローヤルを創業し社長に就任。1997年社名をイエローハットに変更。相談役を経て、現在はNPO法人「日本を美しくする会」相談役。
著書に『掃除道』『鍵山秀三郎「一日一話」』(ともにPHP研究所)など多数がある。

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