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生き方

無駄に心を苦しめない

高田明和(浜松医科大学名誉教授)

2011年05月19日 公開 2021年05月26日 更新

無駄に心を苦しめない

「彼に比べると、おれはだめな人間だ」
「私、あの人よりはましよね」――。

愚かなことだと知りながら、人は他人と自分を比較して、自責の念に苦しんだり、空しい優越感に浸ったり、無駄に心を苦しめて日々を送っています。

他人との比較こそ、生きづらさの根源なのです。それを乗り越える「言葉の力」「呼吸の力」「坐禅の力」を、禅で人生が救われた医師・高田明和氏が説きます。

※本稿は高田明和著『他人と比べずに生きるには』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

分が大事

ある高校の剣道の先生と話す機会がありました。彼は、「生徒の欠点を直そうとすると、それだけで3年たってしまう。むしろよいところを探し、伸ばそうとすると、悪いところが消えてゆく」と言っていました。

つまり、自分の悪いところは気にせず、よいところ、得意をところに目を向け、そこを伸ばせば欠点は消えてゆくというのです。

しかし、私はどうしても、自分がなした多くの間違った言動が他人を傷つけたのではないか、自分はだめで悪い人間なのではないかという自責の念から逃れられませんでした。

このようなときに、堀口大学の「座石銘」という詩を目にしました。堀口大学は詩人で、文化勲章ももらったような偉大な人です。彼は自分への戒めを次のような詩で表しています。

暮らしは分(ぶん)が大事です
気楽が何より薬です
そねむ心は自分より
以外のものは傷つけぬ

堀口大学のような偉大な詩人でも、他人をうらやましく思い、そねむ気持ちに苦しんだということも衝撃でしたが、それ以上にこの詩は私に転機を与えました。

私たちが心安らかに、気楽に生きるためには、分(ぶん)、自分の程度を認めるということが大事だというのです。自分と他人を比較せず、自分の程度でよしとすることが大事だということに気づかせてもらったのです。

 

足るを知る

「分」というのはランクということです。自分の今の状態ということです。堀口大学は、これを認めようといっています。他人より上とか下とか考えないようにしようといっているのです。

自分のランクを認め、今の状態でよしとするのです。自分より上の人がいるのは当然ですが、目をそちらに向けず、今の自分のランクを直視してそれを大切に思うことが大事だと教えてくれています。

分を知るというと、何か実力のない人に過大な目標達成は諦めよといっているようにとられるかもしれませんが、そうではありません。分を知るということは、「足るを知る」ということです。つまり、今の自分は十分に与えられている、これでよいのだと思うことです。

終戦時の首相だった鈴木貫太郎大将は、「足るを知る者は富む」という『老子』の言葉を座右の銘にしていました。戦前のことでご存じない方も多いでしょうが、鈴木貫太郎は海軍次官、連合艦隊司令長官を歴任し、天皇の信頼も厚く、侍従長になりました。

そのために二・二六事件では決蹶起将校に襲われ、重傷を負いました。最後は首相になったので、見方によれば功成り名遂げた人です。その人がいつも自分に言い聞かせていた言葉が「足るを知る」、つまり分を認めるということだったのです。

また仏教でいうところの「諸行無常」の考えも私に大きな影響を与えました。諸行無常とは、この世のすべてのものは一瞬として同じでなく、常に変化しているということです。自分は一瞬後には、ほんとうは別人になっているというのです。存在するのは今の一瞬しかないという教えです。

このことは、過去は過ぎ去ったものだから現在には存在しないということを意味します。つまり、過去の自分は今の自分ではなく、過去の他人も今の他人ではないということです。過去に自分のやったことというのは、見方によれば、もはや存在しない他人がやったことと同じなのです。

社会の安定、秩序を守るために、法律的には過去の行為の責任を今の自分が負うようになっていますが、本質的には過去の自分と今の自分は違う存在であり、自分は過去の自分の行為、言動に責任はないのです。

一応過去の自分が今の自分と連続しているとしても、過去の自分の分、ランクはそれはそれでしかたがないのです。そのときの自分の分はそうだったのです。しかし、今は今で自分の分、自分のランクがあります。それを認め、それでいいのだとするのです。

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「責めず」「比べず」「思い出さず」

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