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「感動分岐点」が人と業績を動かす~はままつフラワーパーク

塚本こなみ(はままつフラワーパーク理事長)

2015年11月05日 公開 2023年01月06日 更新

「感動分岐点」が人と業績を動かす~はままつフラワーパーク

塚本こなみ
はままつフラワーパーク理事長。1949年静岡県磐田市生まれ。22歳で造園業を営む男性と結婚。家業を手伝ううちに、樹木の世界に魅了され、一級造園施工管理技士になり、’92年女性初の樹木医資格を取得。’93年造園、緑化、樹木の保護などを事業とするコンサルティング会社を設立。’96年あしかがフラワーパークの大藤移植を成功させ、’99年同パーク園長に就任。2013年はままつフラワーパークを運営する公益財団法人浜松市花みどり振興財団理事長に就任。〈取材・構成・写真撮影:高野朋美〉

※本稿は『PHP松下幸之助塾』[特集:お客様の心をつかむ]より一部抜粋・編集したものです。
 

赤字続きだった植物園を日本一のフラワーパークに

《入園者数の伸び悩みや経営難にあえいでいた植物園を、見事に復活させた樹木医がいる。「はままつフラワーパーク」の塚本こなみ理事長だ。女性初の樹木医となり、木の声を聞くプロフェッショナルとして経験を積む中、ある出来事がきっかけで植物園の経営に参画。以来、入園者の気持ちに徹底的に寄り添った「型破りの発想」で、赤字続きだった植物園を“日本一のフラワーパーク”に生まれ変わらせた。植物園経営の常識を破るその発想とは?》

 

最初は「庭師のおかみさん」

私が「はままつフラワーパーク」の経営にかかわって2年。いま、意識変革の途中にあります。はままつフラワーパークは、浜松市の公社が運営する公立の植物園、つまり、行政の性格が色濃く反映されている組織です。新しい事業に挑戦することではなく、予算や行事をいかに消化するかを求められてきた行政マンは前例のないことをやりたがりません。しかし、この2年間フラワーパークのスタッフはそうした行政色を消して、確実に変わり始めています。

私が最初に経営に携わった植物園は「あしかがフラワーパーク」(栃木県足利市)です。はままつフラワーパークとは違い、民間の植物園です。税金はいっさい投入されていません。開園から数年はほんとうに経営が大変でした。それを乗り越えて、現在の「年間100万人が訪れる日本トップのフラワーパーク」という姿があります。

あしかがフラワーパーク、次いで、はままつフラワーパーク。私はこれまで、この2園の経営に携わりました。でも、植物が大好きだからそうしたわけではありません。

私はもともと、庭師の妻です。22歳で結婚後、しばらくは「庭師の女房」として、おかみさん業に明け暮れていました。そして十数年経ったころ、夫が浜松城公園に、すばらしい日本庭園をつくりました。私はこれがとても誇らしくて、この庭がこれからどう成長するのか気になり市役所に、「あの庭はどなたが維持管理し、育てるのでしょうか」と聞きに行きました。

ところが、市の都市計画部長は、「行政は緑を植えることで手一杯で、維持管理するという意識はまだありません」とおっしゃるのです。そして「塚本さんがそう言うのなら、民間レベルで啓蒙していったらどうですか」と言われたのです。これを聞いたとき、私は単純ですから「それなら自分でやろう」と思いたったのです。

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緑を守り育てる仕事に着目

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