竹中平蔵 2020年、日本と世界の大変化を生き抜くために
2016年01月13日 公開 2022年10月27日 更新
「自力」を鍛えることがますます必要とされる時代に
「Compass over Maps」は、「competitive よりもcompetent であれ」と言い換えることもできます。「competitive」は「競争力がある」という意味ですが、ステージが限られます。
例えば、excel を使って与えられたデータを解析し、表をつくり、さらにword を使ってレポートを書く。これはcompetitive な仕事です。しかし、数年後にはexcel もword も古くなり、まったく別のソフトがスタンダードになっているかもしれません。その時点で対応していなければ、競争力を失うわけです。
一方、「competent」とは「対応能力がある」という意味で、状況がどれほど変わっても競争力を維持し続けることを指します。前者が「知識による競争力」であるのに対し、後者は「自力による競争力」であると言えるでしょう。
例えばアメリカの大学では、最初の4年間で基本的な教養(arts & science)を広く学ぶのが一般的です。それを踏まえて、ビジネス、法律、メディカルの専門スクール(つまり大学院)で技術を身につけていくわけです。一見すると遠回りに思えますが、幅広い知識を吸収して世の中を知り、自分の頭で考える下地をつくるという意味で、欠かせないプロセスなのです。
実際、competent がいかに重要かは、世の中を見渡してみればわかります。少し前まであった仕事が消滅するということは、当たり前のように起きている。身近な例で言えば、写真の現像屋さんはもうほとんどありません。アート写真ならともかく、私たちがデジカメで撮った写真ぐらいなら、せいぜい店舗にあるPCを自分で操作すれば十分でしょう。
あるいは、小さな旅行代理店も消えていっています。昔は代理店で飛行機などの切符を取ってもらうといったニーズがありましたが、今ではネットで予約し購入しますから、ほとんど必要ありません。今後生き残っていくのは、自分でパック旅行を企画して売り込むことができる大きな代理店だけです。
新聞も変わるかもしれません。今はまだ配達が主流ですが、やがて電子版が主流になり、さらには自宅で印刷するというパターンが定着する可能性もあります。朝起きると、自分の関心のある記事だけが並ぶオリジナルな新聞がプリントアウトされる、という世界が来るかもしれません。すでにネット上では、ニュースを好みに応じてキュレーションできるサイトがいくつも登場しています。
そういう世の中で、古い知識や技術に固執しても意味がありません。頼れるのは自身がcompetent であるということだけです。
例えば私の場合、competent なものとして、長らく勉強してきた経済学を用いて基本から考えるという点にあると自負しています。先のギリシャの財政破綻問題にしても、ワイドショーのコメンテーターは「ギリシャは借りたお金をムダ使いして返さない。けしからん」としか伝えません。しかし問題の本質は、そもそもEUとは何か、ドイツやフランスは、それぞれどういった利害関係を持っているかということです。ドイツ・フランスは、ギリシャのEU加盟を認めた時点で、やがてこういう問題が起きることはわかっていたはずです。それでもなお、仲間に加えたい事情があった。それがいったい何なのかまで考えなければ、ギリシャ問題を見きわめることも、まして今後を見通すこともできません。そこで欠かせないのが、経済学的な「ものの考え方」なのです。
「悲観は気分である。楽観は意志である」
そしてもう一つ、認識しておくべきことがあります。残念ながら、世の中はけっして公平でも平等でもないということです。
『「学力」の経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本がベストセラーになっています。著者は私のゼミの卒業生で慶應大学准教授の中室牧子さん。教育にまつわる常識を次々と覆す、たいへん衝撃的な内容ですが、その中に、「認知能力」と「非認知能力」という言葉が出てきます。
認知能力とは、TOEFLやTOEICなどの点数や学校の成績など、計測できる能力を指します。しかし、実際に各方面で成功してきた人を観察してみると、認知能力については、社会的成功との関連がほとんど見られないそうです。それよりも非認知能力、例えば我慢強さ、時間を守ること、自制心などのほうがはるかに関係しているそうです。
では、非認知能力は何で決まり、それを高めるにはどうすればいいか。残念ながら、それはまだ十分に証明されていません。しかし私が思うに、ある程度は学校教育ではなく、家庭環境が関係している気がします。少なくとも認知能力に関しては、親の教育水準や所得水準でかなり決まります。非認知能力についても、同じような傾向が見られるのではないでしょうか。
これは、教育の機会の平等には限界があることを意味します。例えば私の友人は、親がニューヨークに赴任しているときに生まれ、若いころからアメリカ文化に馴染んで暮らしてきました。おかげで苦労せずに英語が話せます。生まれたときから、機会の与えられ方が違うわけです。
子どもは親を選べないので、これ自体は変えられません。どうしても機会の平等にこだわるなら、すべての子どもを一カ所に集めて教育するしかない。しかし、それは人間としてやるべきことではないでしょう。
ただし、これはあくまでも平均的な話です。親の教育・所得水準が高くても、かならずしも子どもの非認知能力が高いとは限りません。また、逆のパターンもたくさんある。世の中に不公平・不平等は無数にあると認めた上で、それを跳ね返すぐらいの気概が必要ということです。「コンパス」や「competent」と呼べるものを持っていれば、それは十分に可能だと思います。
アランの『幸福論』の中に、「悲観は気分である。楽観は意志である」という言葉があります。自分の人生を平均に当てはめる必要はありません。何十年も先の将来を悲観したり、年金の心配をしたりしているようでもダメ。「自分はできる」と信じてチャレンジすること、失敗しても年金がゼロになっても食べていけると楽観できること、あきらめずに努力することが、結局は「幸福」につながると思います。またそのプロセスの中で、非認知能力も自然に高まるのではないでしょうか。
冒頭にも述べましたが、本書はたんなる「未来予測」の本ではありません。重要なのは、いかに自分の「コンパス」や「competent」をつくっていくか。2020年の世界を知ることは、これからのあなた自身のコンパスをつくることに、大いに役立ってくれると思います。本書がその一助となれば幸いです。