暮らしの質、第1位は日本! 国連の超GDP指標が教える真の豊かさ
2016年03月02日 公開 2018年10月03日 更新
PHP新書『日本経済の「質」はなぜ世界最高なのか』(まえがき)より
GDPではわからない本当の国力
私はこの本で、皆が自明と思っていること、当たり前だと感じている前提を覆し、新しい展望を拓いてみたいと思う。私は経済学者であるから、その展望とはもちろん、経済に関することである。ただし、経済とは人間が携わる最も重要な事柄の一つであるから、それは
日本人全員に関わる話であるともいえる。そもそも、経済とは何だろうか。なぜ人は経済活動に勤しむのか? 国家を豊かにするためか? もちろん、国全体の経済規模(国内総生産、Gross Domestic Product=GDP)の拡大は個人の所得増加につながりやすいので、経済成長を否定する人はいないだろう。しかしそれはあくまで結果論であって、自国の経済規模を大きくすることを、自分の経済活動の目標にしている人などいないはずだ。
誤解を恐れずにその究極の目的をいうならば、個人が経済活動を行なうのは、それによって自らの福利厚生度(あるいは幸福度)を高めるためにほかならない。もちろん、それはただ得る収入を極大化することではない。私たちは満足感、達成感が得られる暮らしをしたいから、働くのである。仕事で何かの目標を立て、目標達成に向けて努力を続けていくなかでも満足感は生まれる。家庭をつくり、家族を育てていくことでも、職場や職場以外の組織のなかで友人関係をつくりあげ、広めていくことでもそれは得られる。
ここまでの議論に違和感はないはずだ。個人にとって最大の問題関心は、いわば「暮らしの質」をどう高めていくか、ということに収斂されるのかもしれない。
とはいえ、「暮らしの質」とはいったい何だろう? それはきわめて抽象的な設定であり、個々人の価値観や性向によっても異なる。ただ、仮にそれがたとえば、ある程度手法化され、測定できるかたちになっていたら? そのとき個人が集合してつくる国家の役割というものは、そうした「暮らしの質」を高めていく、ということが眼目になるはずである。
しかし、まさにここで人類は、とてつもない矛盾に直面している。国家が経済を論じるときに使われる基準は、先に挙げたGDPというものである。GDPとは1国内で1年間に行なわれた経済活動の規模(金額)を示す数字だ。1934年にアメリカの国民所得統計が作成されて以来、GDPは世界で最も注目される経済の数字になった。まず、そもそもGDPとは誕生してそれほどしか経っていない概念なのか、と驚かれる人もいるかもしれない。
GDPを生み出したのは、サイモン・クズネッツというユダヤ系ロシア人の経済学者である。そして、1971年にノーベル経済学賞を受賞した彼の言葉にこそ、GDPという数字の課題が凝縮されている。1934年、クズネッツはアメリカ議会上院ではっきりと証言した。「GDPでは国民の幸せは測れない」。なぜならそもそもGDPとは国民の幸福度を測るために考えられた数字ではなく、その由来を遡れば、国の軍事力を見積もるために考案されたものだからだ。
しかし、戦後の各国政府はGDPを大きくする、ということをその国家目標に掲げてきた。日本でもアベノミクスの実質GDP2%成長、あるいは「新3本の矢」におけるGDP600兆円、という数字が躍る。国家がその国民を豊かにしたいと思って経済政策を行なうことは間違いない。しかしそのためにGDPという数字を大きくすることで、どこまでほんとうに国民は幸せになれるのだろうか。
ならば、この矛盾を解消するためにはどうすればいいのだろう? ほんとうに「暮らしの質」を測れる基準があれば、事態は改善するはず。そんなものがあるわけないじゃないか、と思った方もいるかもしれないが、すでにプロジェクトは動きはじめている。国の経済規模だけではなく、国民の福利厚生度を示す指標を開発しなければならない。そうした気運が21世紀に入って、一気に高まってきたのだ。
2008年2月から1年半かけて、世界各国の専門家24人を集めた本格的な検討会が実施され、2009年9月に一つの報告書が出された。ノーベル賞経済学者である米コロンビア大学教授、ジョセフ・スティグリッツの名前を冠した『スティグリッツ報告』といわれるものが、それである。この報告書は世界的に大きな反響を巻き起こした。※1
2011年には国連総会が「国連統計局に、GDPを超えて、暮らしの質を測る新しい経済統計の開発を要求する」という決議を採択。潘基文国連事務総長の委嘱を受けた国際的な研究チームが翌2012二年6月、暮らしの質を計測した新統計と報告書『総合的な豊かさ報告2012年』(Inclusive Wealth Report 2012 、通称IWR 2012)を作成したのである。
この統計と報告書は2年ごとに改訂版が発行され、2014年12月には2回目の報告書が出た。新統計は経済成長率ではなく、一国の経済活動の持続可能度を示す4つの資本(人的資本、生産した資本、社会関係資本、天然資本)の残高を計算している。年間の伸び率(フロー)ではなく残高(レベル)を計算していることが、経済発展の持続可能度を知るうえでは重要なのだ。
新統計が生まれたことの意義は大きい。経済政策当局者にとって、生産額だけではない、新しい目標値が生まれたことを意味するからだ。『総合的な豊かさ報告2014年』の編者の1人であるアナンサ・ドゥライアッパ氏(インドのマハトマ・ガンジー平和と持続可能な開発研究所長)は、報告書の序文にこう書いている。
「GDP統計に基づいて経済的成功と社会経済的な福利厚生度を高めていこうとしても、一国経済の持続可能度をあまり高いものにはしていけないだろう」「われわれは政策当局者たちが『総合的な豊かさ報告2014年』を役に立つ道具だと受け止め、(まだ随所にある:筆者注)データ不足を埋めるのに必要な作業をするように促されているのだと考えて、この報告書の内容を活用してくれることを望んでいる」※2
それでは、この新統計で日本を捉え直してみたとき、何がみえてくるのか? 一言だけ語っておこう。2012年の新統計において、その1位はほかでもない、わが国日本だったのである。
昨今、GDPで中国に抜かれた、国民が皆内向きなど日本経済に対する悲観論が絶えない。しかし、そもそも「日本経済」を語るための視点が、時代にそぐわないものになっていたとしたら? 海外から日本に帰ってきたとき、圧倒的なこの国の質的な豊かさにあらためて気づき、蔓延る悲観論とのギャップを感じた人もいるはずだ。そうした疑問に対して、本書は明確に答えることができるはずである。
そうした新指標がある程度できつつあるならば、それを踏まえたうえで、政府は国民を豊かにする政策を打てばよい。じつは、すでにEU(欧州連合)各国、アメリカ、そして一見、GDP信仰に囚われているようにみえる中国までもが、それらの指標を念頭に置きながら、国家戦略を練っている。それに対して残念ながら、新指標でみれば世界のなかで圧倒的な豊さを享受している日本は、古い指標であるGDPの呪縛から逃れられないでいる。
グローバル化の止まらない世界で必要とされるのは、年に何%の成長率ではない。ほんとうに国民の生活をどう豊かにするのか、という視点であるはずだ。本書で述べるほんとうに人間の幸福度を高めるための方法論が、日本人の心を豊かにし、新しい日本の展望を拓く一助ともなることを、私は期待している。
※1『スティグリッツ報告』の邦訳は 福島清彦訳『暮らしの質を測る』(金融財政事情研究会)
※2 UNU-HDP and UNEP(2014)Inclusive Wealth Repoort 2014 Measuring progress toward sustainability .
Preface page XX,XX1 Cambridge: Cambridge University Press Preface
著者:福島清彦
1944年兵庫県生まれ。一橋大学経済学部卒業。同大学院修了後、毎日新聞社に入社。プリンストン大学留学を経て、78年野村総合研究所に入社。ワシントン、ニューヨーク、ロンドンに勤務。この間、米ブルッキングス研究所客員研究員。2005年より立教大学経済学部教授。10年から15年まで同大学特任教授。著書に、『いまこそ政府投資拡大へ』(金融財政事情研究会)ほか多数。訳書に『暮らしの質を測る』(金融財政事情研究会)。第1回高橋亀吉賞、第1回大来佐武郎賞、第9回日経Biz Tech賞を受賞。