千玄室 世界の人々に伝えたい茶の心、「和敬清寂」の精神
2017年08月06日 公開 2024年12月16日 更新
※本記事はマネジメント誌『衆知』2017年5・6月号に掲載したものです。
一盌からピースフルネスを
茶の心で道をひらく
千利休が大成した「茶道」を、500年にわたり受け継いできた裏千家。その大宗匠を務めるのが、第15代・前家元、千玄室氏だ。第2次世界大戦時、海軍士官として特攻隊に身を置き、仲間を次々と失う悲しみに直面した千氏は、復員後、茶箱一つでアメリカを旅し、やがては世界に茶道を広める「一盌のお茶による国際交流」を成し遂げた。その道のりを歩む中で、千氏が抱いていた思いとは。
※盌:ふたがない水を盛る器、抹茶盌のこと
取材・構成:高野朋美
写真撮影:白岩貞昭
「和敬清寂」の心を涵養する
茶の道で一番大切な教えは、「和敬清寂」。千利休が掲げた精神です。
「和」は、皆で和し合うこと。英語で言えば、“peace and harmony”(平和と調和)です。「敬」は、敬い合うこと。肩書きのある人だけを敬うのではなく、人間すべてを敬うことを指します。
そして「清」は、清らかな気持ちを持つこと。「寂」は、寂然不動の心構え、何事にも動じない気持ちを持つことを意味しています。茶の道とは、これらの心を涵養することなのです。
「和敬清寂」の精神があれば、広い心で物事をとらえ、相手の立場になって仕え合えるようになります。仕事でいえば、売り手と買い手、経営者と従業員が互いの立場を理解し合うようになる。正しい仕事の道というのは、そこからひらけてくるのではないでしょうか。
しかし、人間というものは、ちょっと放っておくと、すぐに埃が溜まります。埃とは、怒り、嫉妬、傲慢、憂い……。知らない間にポケットに埃が溜まるように、心が汚れていく。
だから、自分を省みる必要があります。「日に三省」という言葉がありますが、相手のためにお茶を差し上げることができたか、茶の道というものを一つの心として差し上げることができたか、すべてのことにおいて粗相はなかったか。これらを常に省みながらお茶を点てることが、自分を成長させる素となるのです。
それなのに、最近の日本人は、すぐに「面倒くさい」「手間をかける必要なんてない」と言って、ペットボトル入りのお茶で済ませてしまう。むしろ外国人のほうが、ちゃんと鉄瓶でお湯を沸かし、煎茶を淹れて飲んでいますよ。
昨今、「おもてなし」という言葉が流行していますが、おもてなしとは本来、人間の哲学であり、思いやりの心です。外国人を引きつけるための売り文句や看板にしてはいけません。
お湯を沸かし、心を込めてお茶を淹れ、「まあ一服してくださいな」と声をかける。これが本当のおもてなしです。そこには「何流」なんてものはありません。自分流でいいのです。