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指導者の器とは

川淵三郎(日本サッカー協会名誉会長)

2010年12月07日 公開 2022年08月17日 更新

岡田武史監督の魅力と武器

《PHP新書『采配力』より》

川淵三郎 メンバー交代の決断がもっとも難しい

 南ア大会の前、岡田監督が抱えた最大の問題とは、苦しかったアジア予選を勝ち抜いた際には主力と位置付けてきた選手たちのコンディションが下降線をたどっていたことでしょう。

 国内合宿中にコンディションを落としていた右サイドの内田篤人、MF中村俊輔、遠藤保仁、GK楢崎正剛は、壮行会となった日韓戦で、不調が誰の目にも明らかなほどでした。スイスでの高地順応合宿に入ってからは、FW岡崎慎司が少し調子を落とし始め、予選中に代表に復帰した玉田圭司ら前回のドイツW杯経験者もプレッシャーのためか、ベストの状態ではなかったのかもしれません。

 彼らは、時間もない苦しい中でオシム監督の後を引き継いだ岡田監督のコンセプトを理解し、献身的な働きでアジア最終予選を勝ち抜いた主力選手たちです。明らかなケガならば、交代させることはむしろ簡単でしょう。しかし、なかなか目に見えにくいコンディションの波について、どこで見切りをつけ、どうメンバー交代の決断をするかは本当に難しい。5月の代表発表後にこうした問題を抱えたために、メンバー、システムが大会直前まで固まらなかったのではないかと私は考えます。

 今まで先発で使い、信頼してきた選手を、いざW杯本番の試合で外すことは辛くて苦しい仕事です。まして予選を勝ち抜いた選手たちですから、監督自身、どこまで忍耐するか踏ん切りがつかなかったはずです。メンバーを代え、システムも守備的布陣に変更し、さらに、ずっと中澤佑二が務めてきたゲームキャプテンを、イングランド戦の直前になって長谷部誠に代えた。岡田監督と中澤は、横浜マリノスでも一緒に戦っていますから、良き理解者でもあるはずです。その中澤を、「ここまでの悪い流れを断ち切りたい」と、報道のみなさんにコメントしてまでゲームキャプテンから外した決断も、選手の気持ちを慮ってばかりでは決してできない大変な思い切りだと見ました。

 結果から見れば、中澤、長谷部2人だけではなく、チーム全体にある種の危機感と同時に、新たな連帯感を生み出した「采配」になりました。

非情と温情の幅の広さ、懐の深さ

 大会直前に、主力を代え、システムを変更し、主将も代えるという3つの大手術が、チームをいい方向に導いたことになります。

 もちろん、結果を見て判断するのはたやすいのですが、監督はそれをまさに紙一重のところで決断しなければならない。選手を交代したら全く機能しなくなるかもしれないし、キャプテンを代えればバラバラになることだってあるかもしれない。正反対の結果になるかもしれないリスクを恐れず、突き進んだ決断に共通しているのは、ある意味の「非情さ」といえるでしょう。

 選手を外す、代わりに誰かを入れる。これをただ感情的に、その場の思いつきでやっていたのでは話にならない。拠りどころは常に「チームの勝利のため」、その一点であるべきです。

 似たケースを思い出します。98年のフランスW杯でも、岡田監督がまるで日本中を敵に回してしまうような決断をしました。

  6月に入って、スイス合宿からフランスに入る際、W杯登録メンバーを遠征メンバー25人から22人(南ア大会は23人)にする必要がありました。ドーハの悲劇から日本サッカーを引っ張ってきてくれたカズ(三浦知良)と、予選でもっとも苦しかったときに招集され、流れを変えてくれたベテラン北澤豪――チームの精神的支柱ともいえる2人をメンバーから外したことで日本中が驚き、やがて凄まじい批判を浴びせられたのです。誹謗中傷が殺到し、監督の自宅前には警備が敷かれる異常な状態になりました。しかし、そんな中でも、岡田監督は「どうしたらチームが勝てるかだけを考えた」と、動揺しなかった。家族への影響を思えば、どれほどのストレスとプレッシャーだったかと思います。 初出場は3連敗に終わりましたが、諸戦のアルゼンチン戦、2戦目のクロアチア戦とも非常にいい戦いでした。周囲の批判や反応にとらわれず、自分の信じた決断を、何のてらいもなく実行する。外国人監督にもなかなかできないであろう非情な人事を、日本人である岡田監督がやり抜いてしまう。「冷酷」なのではありません。私は、この「勝つための非情さ」が、岡田監督の最大の武器であり、魅力でもあると思っています。

 一方で、人を外すためには、誰かを入れる必要がある。南ア大会では、主力が不調の中、それまでいわゆる「サブ組」だった選手たちが調子を上げていきました。象徴的なのはGK川島永嗣の抜擢です。日頃、出場のチャンスがなかった川島、阿部勇樹、今野泰幸、駒野友一らが、大舞台で力を発揮できたのは、「非情」に対して「温情」が理由です。

 温情とは、声をかけるとか、目に見えるコミュニケーションで気を遣うといったことではなく、その選手のメンタル、特性を日頃の練習、生活態度からどこまで把握できているかによるものです。彼ら「サブ組」の高い意識を誰よりも深く理解し、どんな状況なら彼らを活かせるかを考え続けていたからこそ、大一番で、もっとも経験の浅いGK川島にゴールを託し、招集しても練習だけで帰していた阿部に、初めての、しかも「アンカー」といった中盤での難しいポジションを任せることができた。私は、こうしたことを、監督の「非情」に対して、「温情」であると考えます。

 勝つための「非情」と「温情」という両極の帽の広さ、懐の深さがリーダーに課せられた重要な要素です。両方があるからこそ、ただ一方的なものではなく、選手がそのことを感じ取り、新たなパワーを発揮する。

 岡田監督は、この非情と温情の幅の広さにおいて、際立った個性を発揮する監督でした。日本人監督では唯一人、W杯の舞台に立ち、過去最高の結果を出した理由はもちろんほかにもあります。しかし、監督としてだけではなくリーダーとして考えるとき、彼の手腕の個性をそこに見ることができます。

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