さびしさ、悲しさ、不安感、無力感――。孤独は多くの負の感情をもたらします。荻上チキさんの著書『孤独をほぐす』は、孤独とはなにかを丁寧に解きほぐしながら、この社会がいかなる孤独を生み出しているのかをエッセイ形式で読み解いた一冊です。
同書より、自己開示と自己呈示について書かれた一節を紹介します。
※本稿は、荻上チキ著『孤独をほぐす』(PHP新書)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
自己開示と自己呈示
私は兵庫県で生まれて、小学生のときに埼玉県に引っ越しました。関西圏から関東圏への引っ越し。友人も、土地勘も、一から作り直す必要のあるイベントでした。
小学校に転入するにあたり、母は私に「絶対にいじめに遭うから、関西弁をしゃべらないようにしなさい」と言いました。私はそれに従い、初日の自己紹介から、「標準語」とされる言葉を用いるよう努めました。それでも、イントネーションなどをすべて変えることは困難でした。
ある日、私は上級生らに、校舎の裏に呼び出されました。「関西弁しゃべってみろよ」と言われた私は戸惑い、「そんなこと言われても、何ゆうてええかわからんわ」と答えました。上級生たちはその姿を見てギャハギャハ笑い、満足げに去っていきました。この経験はなかなかにショックでした。母の言った通り、関西弁はいじめのターゲットになるんだ! そう思い、より懸命に、埼玉での言葉遣いを覚えていきました。
自己開示ができなくなった
そのころから私へのいじめが始まり、「人前で、自分の言葉で話してはいけないんだ」「感情を見せたり、隙を見せたりしてはいけないんだ」という思考を、強固に身につけていきました。
大人になってからも、私は「自己開示が苦手な人」として過ごしました。自己開示は、自分の感情や考え、悩みや個人的な情報を、自発的に相手に明らかにする行為です。自己開示には「返報性」があり、悩みや秘密を打ち明けられると、人は相手に親しみを覚えつつ、自分も相手に自己開示を返したくなります。
自己開示と区別されるのが、自己呈示です。自己呈示は、特定の印象を他人に与えるために行動や態度を調整する行為です。人にはそれぞれ、「他人にこう見られるようにしよう/こう見られないようにしよう」といった思考があります。人は多かれ少なかれ、自分の見られ方をコントロールするという印象管理を行なっています。「社会的に望ましい」とされる態度をとるのも、印象管理の一つです。
子どものころの私が行なったのは、「いじめられないために、他の埼玉県民と変わりない自分を演じる」というものでした。つまり、円滑に生活するために、コミュニケーションを計算していたのです。しかし、兵庫訛りを抑え、埼玉訛りへと変えることは、ある意味で「同化」を前提とした適応のようでした。
印象管理は、社会で生きる、すなわち群れの中で孤立しないために必要なものではあります。しかしそれが、本人が望まないものであったり、不当なものである場合もあります。
大人になり、ときどき関西弁の人と話すと、自分も言葉が戻ることがあります。そんなとき、不思議と相手と打ち解けやすい気がします。関東に出てから、関西弁は私にとって、家族としか使わない言葉でした。そんな言葉を用いる相手に、より強い親しみを持つのかもしれません。
自分を閉ざすと人間関係を築きにくい
自己開示と自己呈示は、対称的なようでもありますが、そうとも限りません。
たとえば誰かと仲良くなろうとしている場面を考えてみましょう。最初のうちはよく見られようと思ったり、有害な影響を与えないように抑制したりするでしょう。会話や付き合いが続く中、共通の趣味が見つかったり、あるいはノリや生活リズムが合うことがわかり、より一層仲良くなる。そのときに、互いに自己開示をするようになったりする。
このとき自己呈示は、自己開示できる相手と出会うための大事な手続きだったと言えるでしょう。最初からグイグイこられたり、よく知らない段階で無遠慮なことを言われると、仲良くなれなかったということもあるでしょう。自己呈示がうまくいったからこそ、もっと深く知りたい、長く一緒に過ごしたいと思うこともあるでしょう。
ここで私自身の話に戻ります。「他人に隙を見せないようにしよう」という態度は、自己防衛のために必要な戦略ではありましたが、自己開示を避けることで、他人と深い関わりを築きにくい状況が続きました。
ある時期から私は、うつ病の経験やいじめの経験を、ラジオや書籍などでオープンにしました。すると同じような境遇の人から、「実は私も」と話しかけられることが増えました。そのころから、人間味がある、話しかけやすくなった、という反応をもらうことも増えました。
また、身近な友人も増えました。それまでは自分の中に、高い「友人要件」や「友人規範」がありました。たとえば、「二人きりでカラオケに行けて、何でも話せて、困ったらいつでも助け合う相手」といった具合です。こうした価値観に基づき、「本当の親友」と「そうでない人たち」というざっくりとした関係意識を持ってしまうことで、むしろ対人関係を狭めることにつながってしまっていました。
自己開示もまた、印象管理の上で重要な行為です。「この人は、自分に腹を割って話してくれている」と相手に思ってもらえると、好印象を招きます。自己開示と自己呈示は、性質が異なるものですが、他人と関わる方略の違いなのだ、という視点も必要です。自己呈示が直ちに欺瞞(ぎまん)で、自己開示が常にいいこととは限りません。
自己開示にもダークサイドがあります。開示された情報をもとに弱みにつけ込む人もいます。噂を広げる人もいます。恋愛詐欺のように、「あなただけには本音を話せる」などと自己開示を装って他人を騙す人もいます。そんな有害さから距離をとることも必要です。
もし、自己開示が苦手という人がいたら、まずは「その防衛策が、これまで必要だったのだね」と認めるのがいいと思います。その上で、いずれ自己開示もできる間柄を築くため、自分が何を望み、どのように印象管理を行なってきたのか、振り返るといいでしょう。








