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マリー・アントワネットは「パンがなければ、お菓子を…」なんて言ってない!

堀江宏樹(作家)

2017年12月19日 公開 2022年06月07日 更新

マリー・アントワネットは「パンがなければ、お菓子を…」なんて言ってない!

※本記事は、堀江宏樹著『偉人はそこまで言ってない』(PHP文庫)より一部を抜粋編集したものです。

マリー・アントワネット(1755 −1793)
フランス国王ルイ16世の妃。15歳でオーストリアフランスに嫁ぐ。ヴェルサイユ宮殿での華麗な暮らしは1789年のフランス革命勃発後に一転、幽閉生活に。93年、国家反逆罪で処刑されるが、気品ある最期を遂げる。
 

有名なあの名言はウソだった?

嫌われ者のアントワネット

フランス革命前の最後の王妃マリー・アントワネット。国王一家を中心とした、ヴェルサイユ宮殿での華麗なる宮廷生活は、フランスから他国に亡命した貴族だけでなく、当地を訪れたことのある各国の客人たちにとっても、わすれがたい甘美な記憶として、革命後も長く語り継がれました。

浮き世離れした贅沢な日々だったようですが、アントワネットが「パンがなければ……」という発言をした歴史的な裏付けは一切ありません。きらびやかな王妃のイメージが一人歩きしすぎた結果が、この言葉に集約されている感がありますね。

彼女が生きた18世紀末のフランスでは天候不順による凶作が続いていました。

天候不順という、解決できるのは神様くらいしかいない問題に対する不満のはけ口に、「なぜか」されてしまったのが、不幸にもアントワネットでした。

彼女の振る舞いに問題がなかったとはとてもいえません。凶作が続いている時期でも、アントワネットの年間服飾費は、現代日本の貨幣価値にして、なんと数億円~数十億円規模だったそうです。さらに彼女はフランスにとっては「敵国」のひとつ、オーストリアから嫁いできた身の上で、何かあるたびに「外国人女」「オーストリア女」と陰口を叩かれていましたから。

「パンがなければ……」の「名言」は、アントワネットのものではないのに、彼女の言葉だと容易に信じられてしまうほど、彼女はフランスで嫌われていたということです。

実は「パンが……」の名言には様々な起源説があります。ジャン・ジャック・ルソーが自伝にあたる『告白』という著作に、1740年頃、家庭教師をしていた時の話として、食事なのにパンがないと気づき「あること」を思い出したと書いているのです。

それははるか昔、「農民にはパンがない」といわれた、さる高貴な女性が「それなら(パンより豪勢な材料を使った)ブリオッシュを食べたら良い」と、不謹慎なジョークを言ってしまったというエピソードです。

アントワネットが生まれたのは1775年ですから、当然彼女には無関係のずっと昔の話だったのですが……。

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