《 石 平 ・ 福島香織 :著 『中国人がタブーにする中国経済の真実』 より 》
2歳の女の子ひき逃げを放置する「冷漠社会」
石 欲望は誰しも持っているもので、資本主義社会にあって、欲望は資本主義を発展させていく原動力です。しかし日本人の場合、近代化後も仏教や儒教の要素が普段の生活にそれとなく生きつづけ、際限のない欲望の広がりにブレーキをかけています。「これ以上欲をかいたら、バチが当たる」「お天道様が見ている」というふうに、宗教的意識から欲望を自制してきました。
ところが、いまの中国には宗教がない。中華人民共和国が成立してから六十数年で、宗教は消滅させられてしまいました。たとえば周恩来は、自分が無神論者であることを証明するため、自分の先祖の墓を破壊しています。
宗教意識の壊滅については、とくにエリート層に顕著です。基本的にエリート階層は、自分たちが無神論者であることをむしろ誇りに思っているようです。要は「神も仏もない、迷信は信じない」と決め込んでいるのです。
そこがある意味で、中国の最も絶望的なところです。神様も仏様も信じない結果、どうなったかというと、人間不信の蔓延です。困っている他人に対して知らぬふりをし、苦しむ人を見殺しにもします。
福島 その典型が、2011年10月に広東省仏山市で起きた2歳児ひき逃げ事件ですね。2歳の女の子がワゴン車にひき逃げされたうえ、そのあとトラックにひかれ、血まみれで倒れていた。
ところが、そこを通りがかった通行人は誰も女の子を助けない。つごう18人が通りすぎたあと、ようやく1人の廃品回収業の女性が女の子を助けたものの、死んでしまったという事件です。事件の映像はネットで世界に流れ、中国国内でもその冷酷さが話題になりました。
ゾッとしましたが、この事件が起きるまでに、もう1つ衝撃的な事件が起きています。 石平先生の近著のなかにもありましたが、2006年、南京市内のバス停で倒れていた老女を若者が助けたところ、老女から「私を倒したのはおまえだ。責任を取れ」と言われたのです。老女は治療費を請求し、善意で助けた若者は民事裁判で争い、若者が無実であるという目撃証言まであったのに、治療費の4割の支払いを命じられました。「罪の意識もないのに無関係の人を助けるわけがない」というのが根拠になったそうです。以後、「人を助けると損をする」という意識が中国人のなかで強まり、中国社会では倒れている人を助けないほうがよい、というのが常識になったといわれています。中国では老人が道端で卒倒しても、誰も助けず、見殺しにするようになっています。
同じ南京で、バスから下りる老人が転倒したときのことです。やはり誰も、老人を助けようとしなかった。そこで老人は「間違いなく自分で倒れました。皆さんの責任ではありませんから、助けてください」と叫んだといいます。この延長線上に、2011年の女児ひき逃げ事件があるのです。
石 これに類する事件は、中国では信じられないほど起きています。
福島 ネットで「冷漠社会」と打ち込んで検索すれば、似たような事件が次々と出てきます。衆人の見ている前で人が倒れても、誰も助けないし、ひき逃げも数多くあります。
広東省仏山でのひき逃げ事件では、ひく瞬間の映像が監視カメラに撮影されていました。監視カメラには、車のナンバープレートまでは光の加減で映りませんでしたが、テレビは監視カメラの映像つきでひき逃げ事件を報道しました。テレビは「こんな非道徳的なことが許されますか」「犯人はこの映像を見たら自首してください」などと訴えかけました。
そのニュースを見た犯人は、テレビで公開された女の子の父親の携帯電話番号に電話をかけて「いくら金がほしいか」と談判を持ちかけた。さらに、新疆まで逃げるつもりであることを打ち明けた。それが逮捕につながるわけです。逮捕前の父親とのやり取りから、犯人は「ひき逃げ殺人」を認めています。一度女の子をひいたのち、もう一度わざわざひいていて、父親との会話のなかで「相手が生きていたら莫大な補償金が必要で、殺してしまえば1~2万元の補償金で済む」と語りました。
見殺しにするのが中国人の「常識」
福島 あのひき逃げ事件が衝撃的だったのは、映像が中国全土に流れたことです。手足をバタバタさせて死にそうな女の子が、すぐ目の前にいる。日本なら猫1匹がそんな状態にあっても、誰か助けようとするでしょう。中国では、18人が無視して通りすぎた。殺された女の子と無視をした通行人が映像となって流れたことで、世界に衝撃を与えました。しかし信じがたいことに、ひき逃げ自体は中国では「よくあること」で、ショックを受ける人がいる一方、当然と見る人たちもいたのです。
後日、この事件についてアンケートをとったところ、7割の人が「トラブルを避けるため関わらない」を選んだ。掛け値なしにこれが中国人の常識ではないか、と思います。
石 中国人の事件への受け止め方、「事故の責任を取らされるのが怖い」という気持ちを福島さんは理解できますか。要するに1人の人間、しかも小さな女の子が死にかけているのに、何もせず平気でいられるかということです。
福島 日本人なら、10人中10人が見殺しにはできないでしょう。私もそう。ですが、中国人の常識は違う。人生観そのものが違うといってもいいでしょう。中国人からすれば、日本人は「甘い」と思っている。
では、何が甘いのか。
長く中国に暮らしている日本人に、あの2歳児ひき逃げ事件について「あなたならどうする?」と聞くと、答えを濁す人がけっこういました。理由は、お金の問題です。
もし救急車を呼んだら、代金を払うのは救急車を呼んだ人です。救急車のお金は何とかなったとしても、その先の問題があります。救急車で病院に連れていっても、助けてもらえる保証はなく、前金を払わなければいけない。緊急手術となれば、日本円で数万は必要です。中国とは、そうやって善意の行為をも逡巡させるような世界なのです。老人が倒れていても、誰も助けようとしない。もし助けたかったら、その人の人生に最後まで関わるほどの面倒を見る覚悟が必要だからです。
中国に長く住んでいる日本人から見ても、中国社会では善意や良心を持っていたら生き残れない。それくらい厳しい社会なのです。長く中国に住んでいる人はそれをわかっているから、ひき逃げ事件が起きたとき「俺ならどうするか」と迷うのです。日本で日本人の感覚で育っている人からすれば、信じられない話かもしれませんが、それが中国社会の現実です。
石 福島さんのおっしゃるように、いまの中国は人の善意を信じません。「人間はみな泥棒」という性悪説の考えになっています。
ただこれは、毛沢東の時代から始まったものです。中国共産党が中国を支配する以前には、儒教の「礼節」という考えが、中国に残っていました。それが共産化する過程で、崩壊していったのです。
とくに1960年代後半から1970年代前半まで続いた文化大革命で、礼儀や礼節は悪しき伝統として、批判の対象になってしまいました。毛沢東に利用された若い紅衛兵らは、目上の人間を吊るし上げるのをよしと教えられ、礼の文化も破壊されてしまった。
文化大革命は密告を奨励し、互いを見張る社会が形成されました。そして家庭までも破壊しました。自分が助かるため、妻が夫を疑い、子供が親を密告するという時代になったのです。
文化大革命下、子が実の親を大衆の前で吊るし上げ、糾弾することもありました。人間というのは、一度そんな体験をさせられたなら、あとは人間性も何もかも捨てることができる。文化大革命時代に人間不信が広がり、いまに至っているのです。「人を助ける」という根底の価値観も、崩れ去ってしまった。
ここで福島さんに伺いたいのは、中国の人間不信社会の根本的な原因について、日本人の福島さんがどう見ているかです。それは中国人の人間性そのものの問題なのか、あるいは、中国社会自体が人に厳しすざるからなのか、どちらと思いますか。
福島 私は中国人すべてが、人間性を失っているとは思いません。なぜなら、広東省仏山でのひき逃げ事件について、多くの人が「けしからん」と怒っているからです。個人にはまだ善意が残っているのですが、いざ自分が事件に直面すると、7割くらいの人は善意に基づいて行動できる自信がないのです。
結局のところ、中国人の人間性は中国の厳しい体制、システムがつくったものだと考えます。中国では厳しい統制の時代が長く続き、それが人間の性格までをも形成していったのです。しかしいまでは浸透して、1つの国民性になっているのかもしれません。
1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部を卒業後、四川大学講師を経て88年に来日。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。2007年に日本国籍
に帰化、08年より拓殖大学客員教授。
著書に『【中国版】サブプライム・ローンの恐怖』(幻冬舎新書)、『中国ネット革命』(海竜社)、『中国人の正体』(宝島社)、『私はなぜ「中国」を捨てたのか』(ワック)などがある。
福島香織 (ふくしまかおり)
奈良県生まれ。大阪大学文学部を卒業後、1991年、産経新聞社大阪本社に入社。1998年に上海・復旦大学に1年間、語学留学。2001年に香港支局長、2002年より2008年まで中国総局記者として北京に駐在。2009年に退社後、フリー記者として取材、執筆を開始。著書に『潜入ルポ 中国の女』(文藝春秋)『中国のマスゴミ』(扶桑社新書)『危ない中国 点撃!』(産経新聞出版)がある。
◇書籍紹介◇
『中国人がタブーにする中国経済の真実』
石 平/福島香織 著
税込価格 1,470円(本体価格1,400円)
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危ないのは新幹線だけじゃない! 崩落するビル、沈む道路に不動産バブルの崩壊。周知のように中国経済は外資と公共事業頼みであり、公共事業がインフラ崩壊と不動産の下落で崩れれば、海外の信用失墜は投資減少として表れる。この国には活路がないのだ。
現地を知るジャーナリストと評論家が歯に衣着せず語り、誰も言わなかった中国の泣き所をあらゆる角度から暴く。