二度とない人生、いつも「自分のため」だけに生きていてよいのか
2018年02月26日 公開 2023年04月05日 更新
自分の好きにふるまうのは欲望の奴隷にすぎない
現代の企業では心を病む人が多いという現実があります。それによって生じる経済損失を回避するために、福利厚生として瞑想や坐禅を取り入れている企業も多いのですが、何だか坐禅が対症療法に使われている気がして、素直に喜べないところがあります。
そもそも坐禅は何のためにするのでしょうか。お釈迦さまは「最高の人格者は、自分の欲望を抑えて慈悲の心を育てるものだ」とおっしゃっています。
私はこの言葉に集約されていると思います。自分の快楽だけを求める欲望を抑えて、他者を思いやる心を育てるのが坐禅の真髄です。
もっとわかりやすく言うと、私の恩師である松原泰道先生がおっしゃるように、「自分の中に分け入って、真実の人間性を開発するのが仏教」なのだと思います。真実の人間性や自分の中のもう一人の自分、つまり本当の自分に気がつくために坐禅を行うのです。
私たちは自由主義の世の中で育っていますから、自分の好きなことをするとか、自分の欲望を自由に満たすことが幸せである、と思いがちです。しかし、お釈迦さまの教えを学びますと、それは決して自由ではない。むしろ、わがままな欲望に振り回され、奴隷になっているだけにすぎないことがわかります。
そこに人間の主体性はありません。その状態に気づけ、というわけです。自分の欲や快楽を追いかけているのは、自分で好きなことをしているため、自分に主体性があるように思ってしまいますが、ただ、モノに振り回されているだけにすぎません。そこには本当の満足や自由や喜びはありません。
それより人のために、人が喜ぶようなことをするほうが楽しい。人さまのお役に立って、よかったな、と思う自分が本当の自分だと気づくことです。
欲望の奴隷になっていては、結局人は不幸になります。そうならないために禅や仏教があることに気づいていただきたいと思います。