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生き方

50代の世界のイノベーターたち―現状を正しく認識し行動すれば、年齢は関係ない

ポール・スローン(訳:中川泉)

2018年08月06日 公開 2022年06月06日 更新

 

体が不自由な医師ゴヴィンダッパ。58歳で生み出した何千もの患者を治療する画期的な方法

ゴヴィンダッパは世界最大の医療施設をどうやって生み出したか

ゴヴィンダッパ・ヴェンカタスワミーは1918 年にインド南部に生まれた。マドゥライにあるアメリカン・カレッジに通ったのち、マドラスの公立眼科病院で学び、眼科医の資格を得た。

彼は20 代のときに軍医としてインド陸軍に従軍したが、重度の慢性関節リウマチのために退役を余儀なくされる。指が自由に動かず、立っているのもつらいほどの痛みに苦しんだが、苦痛に耐えて乗り越えていった。両手を関節炎に冒されながらも、優れた眼科医になったのである。

1956 年、ヴェンカタスワミーはマドゥライ医科大学の眼科学部長に就任する。それから20 年間、彼はチームと共に眼科手術を10 万例以上も成功させた。

また、移動クリニック・プロジェクトをスタートさせて、僻村に出向いては目の治療や白内障の手術を行った。さらには、インド首相インディラ・ガンジーに働きかけて、失明を治療する全国組織も設立した。

ヴェンカタスワミーは58 歳だった1977 年に、マドゥライにアラヴィンド眼科病院を創立する。

この病院が掲げた使命は「無用の失明の根絶」だった。自動車製造工場やファストフードチェーン店の流れ作業の工程に興味を覚えた彼は、白内障の迅速な手術に同様の手法を取り入れられると考えた。

そしてこの手法を実際に用いたところ評判を呼んで、アラヴィンド眼科病院は眼科治療に関する世界最大規模の施設にまで発展したのである。

この病院では、患者全体の3分の1を占める有料患者から得た収益で、残り3分の2の貧しい患者に無償で目の治療を施した。

ヴェンカタスワミーは、手術にかかわる作業の7割を医療助手に任せて彼らを教育し、それによって時間ができた医師にはより厳しい仕事を与えた。

さらにはここでも流れ作業の手法を導入して、白内障の手術費を10ドル程度にまで削減させたのである(アメリカではおよそ1600ドルかかる)。

各眼科医が年間に行う手術の数は平均して2600 例にもなる(ほかの多くの病院や諸外国では、年間におよそ250 例)。

ヴェンカタスワミーが画期的な眼科病院を始めたのは58 歳のときで、引退を考え始める人も多い年齢である。関節炎を患っているならなおさらだ。

だが彼は、インド中の貧しい人たちの目がよくなる手助けをしようと、大きなイノベーションを始める道を選んだのである。

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