『五能線物語 「奇跡のローカル線」を生んだ最強の現場力』より一部抜粋編集
現場力、深い地元愛と仕事への誇り
2006年2月9日、津軽地方は前夜からの雪が降り続いていた。
始発の深浦駅を早朝に発車した五能線青森行き下り列車は、雪の中を静かに走っていた。
線路の除雪作業のため、列車は1時間以上遅れていた。陸奥森田駅を過ぎた頃から、雪と風がさらにひどくなり始めた。
そして、木造駅を出発した列車をひどい地吹雪が襲った。五所川原駅に向かう途中で、列車はまったく先に進めなくなってしまった。
乗員2人、乗客109人が車内に閉じ込められた。
猛吹雪のため、復旧作業は難航した。昼間にもかかわらず、闇夜の中のような状況での懸命の作業だった。
日がとっぷりと暮れた午後6時25分、列車はようやく雪を脱出した。そして、運転を再開し、進行方向とは逆の木造駅にたどり着いた。
乗客は8時間半もの缶詰め状態から解放された。
翌日、地元メディアはこの一件を大きく報じた。中には、JRの大雪に対する対応の不備を非難する論調もあった。
それからほどなく、一通の手紙が地元の複数の新聞社、五所川原駅長宛てに届いた。立ち往生した列車に乗車していた乗客のひとりからの手紙だった。
* * *
私は昨年の春、定年退職し、現在は悠々自適な生活を送っている一閑人です。生まれ故郷の津軽をこの目に焼きつかせるため、今回二週間の旅に出ました。
2月7日、8日は深浦、鰺ヶ沢周辺を散策、冬の味覚を堪能し、翌日、鰺ヶ沢7時半の快速に乗り、弘前に向かいました。
外の景色を見ていると、陸奥森田駅を過ぎた頃から天候が急変しました。地吹雪がひどくなってきたのです。とうとう木造駅を過ぎて間もなく列車は停まってしまいました。結果的に、新聞報道にある通り、8時間程度列車に缶詰めになったことになります。
ビックリしたのは翌日、弟の家で見た各社の新聞記事です。その内容に事実と異なる記事があったのです。我々乗客を救済するため必死に頑張ったJR関係者があまりに可哀想と思い、私が見た事実をお知らせしたいと筆をとりました。
(中略)
30分ほどしてからでしょうか、三度目の放送がありました。内容は除雪作業員がこちらに向かっているとのことです。
風は停まった時より格段に強くなり、列車は不気味に揺れています。こんな所に人なんか来れるわけがない、雪上車でも来るのかなと思っていたところ、一時間ほどの後「何かが見える」との声が上がったので、前の方に駆け寄りました。
人らしい影が近寄ってきます。なんと視界ゼロに近い猛吹雪の中、3〜4人の人が歩いてきます。その姿は確か新田次郎の「八甲田山死の行軍」の一場面を見るようでした。
(中略)
ピンク色の帽子を被った責任者らしき人が「俺たちが今やることは、お客さまを一分でも早く救済することだ。みんな、大変だども頑張るべ」。有無を言わせない指揮官らしい落ち着いた言葉を聞き、安堵感を覚えました。
(中略)
何気なく窓の外を見ると、猛吹雪の中、一生懸命除雪する作業員が見えました。殆どが高齢者のようでした。窓の氷を体温で解かし、良く見ると、ビックリしてしまいました。
なんと、そこにはスノーダンプを押す女性の姿があったのです。「カッチャ」です。「津軽のカッチャ」が男に混じって、我々を救出するため、男でも尻込みする猛吹雪の中、必死に除雪をしているのです。心の中に、「カッチャ頑張れ」「カッチャ有り難う」と呟く自分がいました。
(中略)
周りにいる作業員が急に見えなくなりました。風が少し弱くなったので周りの人に断り窓を開けてみました。窓から顔を半分出して下を見ると、なんと作業員の人達が列車を押す準備をしています。エンジンの音が高くなるのと同時にピンクの帽子の人が拳を突き上げ「押せ!」と号令をかけました。寒風を突き刺す気迫に身震いがしました。微かに動いた感じがしました。高齢の作業員から「それー、ケッパレ」の叫びが上がりました。動きました。何十cmわかりませんが確かに動きました。作業員の顔が微笑んでいます。もう大丈夫だとの表情でした。もう夕暮れになっていました。
(中略)
脱出に成功した旨と間もなく発車することの放送がありました。そして、列車が動き出しました。
外にピンクの帽子の人が頭を下げ、見送る姿がありました。「申し訳ありませんでした」とでも言っている感じでした。
私は「有り難う」と手を振りました。つられたのか、回りの人も「ご苦労さま」と言い、手を振りました。
車内の雰囲気は東京とは全然違い、車掌に詰め寄る人はほとんど見かけませんでした。自然との共存を受け入れられる故郷・津軽のおおらかさを誇りに感じました。
以上、私が見、感じたことを断片的に書き留めてみました。
新聞社様、決して記事を訂正しろとは言いません。真実を知っていただければ幸いです。
五所川原駅長様、プロの鉄道人の魂を見せていただきました。春になったら、友人を連れて、また五能線を遊びに行きます。(原文ママ)
* * *
冬の五能線は雪と風との闘いでもある。大雪や強風によって運休を余儀なくされることも少なくない。この手紙はその後、五所川原駅長から秋田支社長へと届けられた。支社で働く社員たちの多くがこの手紙を読み、涙した。ちなみに、「カッチャ」とは津軽弁で「おかあさん」「母親」のこと。年配の女性一般を指すこともある。