「恐怖心は誤魔化せる」死と隣り合わせのフランス軍で学んだこと
2018年10月03日 公開 2018年10月03日 更新
テロリストと戦うということ
「戦争を肯定するのか? 自分たちの側に正義があると思っていたのか?」と問われたなら、どう答えればいいかは難しいところです。
ひとついえるのは、少なくともフランス軍は、攻撃するという意思をもって民間人に銃を向けたりはしないということです。しかしテロリストは、無差別テロなどによって民間人を傷つけます。その一点においてもフランス軍が正しいと私は思っています。
テロリストの側にも彼らの信じる正義があるのだろうとは理解していました。だからといって、彼らの行為を容認していれば、多くの民間人が死んでしまいます。それを止めるための戦闘はやむを得ないという考え方です。
私の考えに賛同してもらいたいということではありません。自分たちが正義の味方だという意識だったわけではなく、そういう考えのもとで戦場では与えられた任務に従事していたということです。
テロリストも人間なのですから、面と向かって対峙すれば、攻撃をためらう気持ちが生まれる場合もあるはずです。しかしそこで、正義や倫理といったことを考えはじめると、身動きが取れなくなってしまいます。その葛藤はやはりあります。自分なりに答えを出すか、そうでなければ、なんらかのかたちで割り切るしかないのだと思います。
幸いにも、上官からどう考えてもおかしいだろうというような任務を与えられることはなかったのですが、もしそういう任務が与えられていたとしても、従っていた気はします。部隊に所属して給料をもらい、そのための訓練を受けているというのはそういうことではないかと考えているからです。
外人部隊に入り、六年半を過ごしたことに関しての後悔はありません。もし自分が望んだときに自衛隊に入隊でき、災害救援に携われたならそうしたかったという思いはあります。しかし、それがかなわなかった段階で、まったく興味のない仕事などに就いてしまわず、外人部隊を選んだのはよかったといえます。
<<※本記事は、野田力『フランス外人部隊 その実体と兵士たちの横顔』(KADOKAWA刊)より抜粋・編集したものです>>