妻サッチー逝去から1年 野村克也氏が語る「残された夫のひとり暮らし」
2018年12月07日 公開 2020年02月14日 更新
【野村家のルール2】「これくらいでいい」は老け込む入口
「いつまでも元気に生きる秘訣は、『もうこのくらいでいいか』と思わないこと」
これもサッチーの信条だった。
「たしかにそうだなあ」と改めて思う。
監督時代、伸び悩んでいる選手には共通点があることに気がついた。「自己限定」しているのだ。「自分の力はこの程度」「これくらいやれれば充分だ」……才能がありながら伸び悩んでいる選手は総じてそう考えていた。
では、なぜ自己限定してしまうのか。
現状に「満足」しているからだ。プロ野球選手になったこと、一軍にいることで達成感を感じ、満足してしまっている選手が非常に多かった。
アマチュア時代は「プロになりたい」と一所生懸命にがんばった。その甲斐あってプロ選手になった。そこでホッとしてしまうのだと思う。ましてそこそこ活躍していれば、人がうらやむ生活ができるし、周囲もちやほやしてくれる。心地いい。それで思ってしまうのだ。
「これ以上、苦しい思いをしなくてもいい……」
つまり、満足、そして自己限定は成長の最大の敵なのだ。
そして、これは高齢者にも言えることではないかと、自分がその年齢になって思うようになった。満足し、自己限定しないために必要なこととは何か──。
若者と変わらない。明確で具体的な目標を持つことだ。いや、心身の衰えを自覚せざるをえなくなっているからこそ、より明確かつ具体的な目標が必要なのだ。
「まだまだこれがやりたい、あれをしたい」
そういうはっきりとした目標があれば、「このくらいでいい」と思っている暇などないし、「実現するまで死ぬわけにはいかない」と生きる意欲が湧いてくるに違いない。
【野村家のルール3】自分でできることは、自分で
老後の生活を安寧に過ごすためには、経済的安定をいかに確保するかがやはり最重点課題になるだろう。ましてやいまは少子化が進み、年金制度もどうなるか先行きは不透明。不安になるのは無理もない。
私は金銭的なことはすべて妻に任せていたのだが、サッチーが言っていたのは、「できるかぎり国には頼らない」ということだった。国に頼るのは最後の最後。働くなり、不労所得が得られる工夫をするなり、自分でなんとかできるうちは自分でなんとかする──そう考えていた。
だから私はずっと働かされ続けてきて、いまも仕事をさせてもらっている。おかげで経済的不安は感じないですんでいるが、もともと戦中戦後の貧困を経験してきた世代。たとえ裸一貫になってもなんとかなるという覚悟はできている。
妻もそうだったが、海外旅行だとか温泉旅行だとか、そういうことにはもともとまったく興味がないし、ショッピングも最近はあまりしなくなった。ぜいたくもそれほど望まないし、できなければそれでいい。
要は、どんな暮らし方をしたいかだろう。そんなに望まなければ、それほど多くのお金は必要ないと思う。