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生き方

"健康にこだわりのない"元愛煙家が、それでも煙草をやめた理由

森博嗣(もりひろし:作家)

2019年03月13日 公開 2019年03月15日 更新

禁酒と禁煙

僕は、かつては酒も煙草もやっていた。麻雀も好きだった。麻雀は二十代できっぱりとやめたし、酒と煙草は三十代できっぱりとやめた。以後はまったく嗜なまない。

僕がそれらをやめた理由は、時間が大切だと感じたからだ。それらのうち、煙草が一番時間を使わないけれど、それでも一日に二十本を吸い、一回に三分使っていたら、一日一時間の損失になる。

煙草を吸いながら仕事ができるけれど、リラックスしたいから吸うのだ。麻雀は、人とつき合うことになり、自分で自由に時間を使えない。酒も一度飲むと、どこかでスイッチを切るように抜けられないから、長時間を無駄にする。

健康のことを考えて、禁酒や禁煙をしたわけでは全然ない。また、人にいわれてやめたのでもない。誰にも内緒で、あるときやめようと思い立ち、こっそりやめただけだ。

こういったことにも、僕は「拘らない」ようにしている。煙草に拘っていたわけでもないし、今も禁煙に拘っているわけではない。煙草を吸っている人を敬遠したこともない。

最近、吸う場所が限られるし、周囲から煙たがられるから、肩身が狭いことだろう、と同情している。煙草は美味しいし、一つの文化だとも思っている。でも、もう吸いたいとは思わない。

酒に関しては、飲んだ人が気持ち良くなるのはわかる。良いことだと思う。ただ、他者に迷惑をかけることがある。酷いときは加害者になる。煙草で人を殺すことはまずないと思うけれど、酒を飲んで人を殺すというのは、毎日日本のどこかで起こっていることだ。

客観的に見て、酒は人間にとって安全ではなく、危険な物質といえる(だから、未成年者の飲酒が禁じられている)。

ただ、これも各自の自由である。自己責任で飲むのはけっこうなことで、まったく悪くない。あくまでも、個人活動として飲めば良い。大勢が集まり、みんなで飲む必要はない。

そういう場が賑やかで好きだという人が酒飲みに多いけれど、この文化は、近い将来消滅するだろう。

ここ数十年でも、一気飲み、お酌、パワハラ、セクハラなどなど、かなり厳しくなってきた。飲酒運転に対する罰則や社会的制裁も厳重になった。

もう、無礼講という日本の文化は存在しないといえる。

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