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「砂漠の狐」ロンメルが上官から指摘された“性格的な欠陥” その背景にある事情

大木毅(おおきたけし:現代史家)

2019年04月26日 公開 2022年07月11日 更新

 

「病的な功名心」は出世コースを外れていたから?

繰り返すが、彼は、ドイツ軍の主流となる邦国の出身でもなく、偶然の結果ではあるものの、「将校適性階級」以外の者が軍で出世するルートである砲兵・工兵への任官もならなかった。

しかも、陸軍幼年学校から陸軍士官学校へというエリートコースもたどれなかったのだ。ちなみに、第一次世界大戦開戦の年である1914年には、ドイツ陸軍の将官のうち、およそ半分が陸軍幼年学校卒業者だった。

もしロンメルが民間の世界に戻らず、職業将校として生きることを選ぶのであれば(ダンツィヒ軍事学校を卒業し、任官したのちには、そう決めていたことはあきらかであろう)、これらは大きなハンデとなる。

後年、ロンメルはたびたび功名心過剰であると指摘されている。

たとえば、第二次世界大戦前半に陸軍参謀総長を務めたフランツ・ハルダー上級大将は(ドイツ軍には、元帥と大将のあいだに、上級大将という階級がある)、その戦時日記に(1941年7月6日の条)、ロンメルは「病的な功名心」を持っており、「性格的な欠陥」があると書き込んだのである。

しかし、「野心」や「性格」だけで、ロンメルの自己顕示を説明しきれるものだろうか。彼が背負っていた「アウトサイダー」ゆえのマイナスを思えば、軍の内部で出世していくためには、戦功、さらには、その実態以上におのが功績を誇示することが必要だったのではないか?

かかるロンメルの言動の一側面を解釈するには、時代的・キャリア的な背景を視座に入れることが必要であると思われる。

事実、ロンメルが、平凡な将校たちの隊伍から抜け出すには、戦争を必要としたのである。

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