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“身体は死んでも”人は生きている? イェール大学教授が語る「死の謎」

2019年04月25日 公開

シェリー・ケーガン(イェール大学哲学教授)、柴田裕之 (訳)

 

「身体の死」vs.「脳や認知機能の死」……人が本当に死ぬのはどっち?

だが、依然としてこう問うことはできる。どちらの機能の喪失のほうが決定的だったのか?

P機能の喪失か、それともB機能の喪失か?

私の死の瞬間をはっきりさせるには、どちらのほうが重要なのか? 通常のケースについて考えていても答えは出ない。なぜなら、B機能とP機能は同時に停止するのだから。だが、異常なケースを考えたとしたらどうなるだろう? 

想像してほしい。私が恐ろしい病気にかかり、P機能として一まとめにしている高次の認知プロセスにいずれいっさい携われなくなるとしよう。

ところが、ここが肝心なのだが、そのときからしばらくの間(数か月、あるいは数年)、私の身体は相変わらずB機能をいつもどおりこなせる。もちろん、最終的にはB機能も果たせなくなる。

だが今考えているケースでは、P機能がB機能よりもずっと前に停止する。それを示したのが下図だ。

異常な死(シェリーケーガン)

今回は、私は自分の身体の履歴を四段階に分けた。

やはりA段階では身体はB機能を果たせるが、P機能はまだ果たせず、B段階では両方の機能を果たすことができ、C段階ではどちらの機能も果たせない。

だが、今度は新しい段階、D段階がそこに加わった。これは、P機能は失われたものの、身体は依然としてB機能には従事している期間だ(見てのとおり、各段階はもう完全なアルファベット順ではなくなってしまったが、Dを途中に入れたのは、他の段階の名前を元のままにしておくためだ)。

このケースではP機能とB機能の喪失はばらばらに起こる。B機能はD段階の終わりに、P機能はB段階の終わりに、それぞれ停止する。そこまでははっきりしている。

だが、死はいつ訪れるのか? 私はいつ死ぬのか? 

真剣に考えてみる価値のある可能性が二つあるようなので、両方に「*」で印をつけておいた。

死は、P機能が停止したときか、B機能が停止したときの、どちらかで訪れる。そして、なんとも興味深いのだが、どちらのほうが妥当と思えるかは、身体説と人格説のどちらを受け容れるか次第かもしれない。



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