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“身体は死んでも”人は生きている? イェール大学教授が語る「死の謎」

シェリー・ケーガン(イェール大学哲学教授)、柴田裕之 (訳)

2019年04月25日 公開 2019年04月25日 更新

“身体は死んでも”人は生きている? イェール大学教授が語る「死の謎」

<<アメリカの名門イェール大学で際立って人気を集めている教授がいる。それがシェリー・ケーガン氏。その講義テーマは「死」。

死とは何か、人は死ぬとどうなるのか、死ぬと孤独になるのかーー。生者が「死」を考察することで、今ある「生」のあり方を考えさせるその授業は、受講希望者が後を絶たない。

その人気講義をまとめた著書「DEATH」の日本向け縮約版である『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』より、世界最高峰の授業の一端をここで紹介する。

※本稿はシェリー・ケーガン著『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』(文響社刊、柴田裕之訳)より一部抜粋・編集したものです。

 

人はいつ「死んだ」と言えるのか?

物理主義者によれば、人間とは正常に機能している身体にすぎないという。考え、感じ、意思疎通することが可能で、愛したり計画を立てたりでき、理性と自己意識を持っている身体なのだ。

これまで私がときどき使ってきた言葉で表せば、「P機能(パーソン機能)をしている」身体ということになる。

もしこの考え方を受け容れるとしたら、死そのものについては何と言うべきなのか? 物理主義者の説に従ったとき、死ぬとはどういうことになるのか? この疑問に目を向けてみたい。

そして、この疑問に迫るには、それと密接に関連した疑問について考えてみると良い。すなわち、人間はいつ死ぬのかという疑問だ。

基本的な答えは、単純そのものに見える。少なくとも、おおまかな話、物理主義者はこう言うべきだろう。

人間は、身体がP機能を果たしている間は生きている、だから、その機能を果たさなくなったときに死ぬ――身体が壊れ始め、きちんと機能しなくなったときには、と。

実際それは、物理主義の観点に立った場合にはおおよそ正しい答えだと私には思える。だが、これから見ていくように、もう少し厳密に考える必要がある。

そのためには手始めに、こう問わなければならない。
死の瞬間を定義するにあたっては、どの機能が決定的に重要なのか?

 

「私が死んだのは一体いつ?」

きちんと機能している人間の身体について考えてほしい――たとえば、みなさんの。みなさんの身体は、現在じつにさまざまな機能を実行している。

単に食物を消化したり、身体をあちこちに移動させたり、心臓を搏動させたり、肺を広げたり縮めたりといった機能もある。それらを「身体機能」、略して「B機能(ボディ機能)」と呼ぼう。

もちろん、それ以外にももっと高次のさまざまな認知機能があり、それを私は「P機能(パーソン機能)」と呼んできた。

さて、おおざっぱに言って、身体の機能が停止したときに人間は死ぬ。だが、機能と言っても、どの機能のことだろう? B機能か、P機能か、はたまたその両方か?

この疑問に対する答えははっきりしない。なぜなら、普通はむろん、P機能はB機能と同時に停止するからだ。SFの世界を別とすれば、P機能はB機能あってこそのものだ。

だから私たちは普通、どのタイプの機能が死の瞬間を定義するために注目するべき種類の機能かなどと自問する必要はない。私たちは両方の機能を、ほぼ同時に失うのだ。

それが下図に示した状況で、そこには私の身体が存在し始めた時点(左端)から存在し終わる時点(右端)までの経過を、おおまかに描いてある。

人はいつ死ぬのか?P機能とB機能(シェリーケーガン)

この身体の履歴はA、B、Cの主要三段階に分けられる。AとBという最初の二段階では、私の身体は順調に機能している。少なくとも、B機能(消化、呼吸、動きなど)は完璧に作動している。

とはいえ、当初、A段階ではそれしかできなかった。これまでP機能と呼んできた、もっと高次の認知プロセスを実行することは不可能だった。

最初のうちは、意思疎通したり、理性や創造性を発揮したり、自己意識を持ったりできるほど、脳は発達していないのだ。だからまだP機能は持っていない。

B段階に入って初めてP機能が作動し始める。やがて、最後のC段階では、私の身体はもうP機能もB機能も果たせなくなる。もう何の機能も果たしていない。それはただの死体だ(言うまでもないが、もっときめの細かい分け方もできるが、ここではこれで十分だろう)。

というわけで、これが通常のケースだ。身体が誕生し、しばらくA段階ではB機能は果たせても、P機能は果たせない。

だが、やがてB機能とP機能の両方が作動する。それがB段階だ。そして、かなり長い時間が過ぎてから、両方とも停止する。私は交通事故に遭うかもしれないし、心臓麻痺を起こすかもしれないし、で死ぬかもしれない。

正確な原因は何であれ、私の身体はもうB機能もP機能も果たせない。もちろん、私の身体はまだ存在してはいる――少なくとも、しばらくは。だが、それは死体だ。それがC段階にあたる。

さて、私はいつ死んだのか? B段階の最後、つまり身体が機能しなくなったときというのが自然な答えに思える。だから、その時点を表すために図には「*」を書き込んでおいた。

死ぬのはいつなのか?シェリーケーガン

ここで考えているのは通常のケースなので、B機能もP機能も同時に停止するから、私の死は「*」で示した瞬間に訪れたということで議論の余地はないだろう。その時点で私は死ぬのだ。

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「身体の死」vs.「脳や認知機能の死」……人が本当に死ぬのはどっち?

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