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現代に生きる真田信之の末裔 厳しかった「上杉家出身」の祖母の“思い出”

真田幸光(真田信之末裔),上杉邦憲(上杉家17代当主)

2019年05月25日 公開 2022年07月08日 更新

 

上杉家出身の祖母の「厳しいしつけ」

そして上杉家出身の祖母について。すでに天国にいるので言いますが、本当に苦手でした。祖母は私に常々、真田家、上杉家のことについて、外で語ってはならないとも言われていました。(笑)

物心ついたときから祖母から書道を教わっていたのですが、姿勢、墨の擦り方など厳しく指導されました。うまくできてないと1メートルほどの竹杓でたたかれるんです。

「書は精神を映し出すものだ」というのが祖母の持論で、字が曲がっていたり、汚かったりすると叱られたものです。

ただ、このときの経験が活きているエピソードがあります。海外に転勤した際や出張の際に、外国人から日本の文化について尋ねられることもあるかと思います。いろいろな話をする中で、書道の道具をもっていき、その場で書いてみると、「あぁ、これか」と納得されることが多いです。

中国、韓国では通じないと思いますが。特にヨーロッパではこの方法が効果的でした。こういう時は、「あの頃、習っておいてよかったな」と思います。

また、小学生の頃のエピソードも紹介します。10日間程度でしょうか。河口湖の富士ビューホテルに連れて行かれるのです。

そこで、ある意味監禁状態にされるのです(笑)朝から夜まで、起きてから寝るまで、厳しく指導されます。起きてまず体操を行い、洗面等もすませ、書を書きます。その後、食事をして、勉強します。午後になるとやっと少し遊べるのですが、帰ってきてからまた書をするのです。

ホテルではテーブルマナーについても教わりました。例えば、フィンガーボールというものがありますね。子どもの頃ですと、出てきても使い方がわからず、飲んでしまいました。そうすると、「ぴしゃ」と手をたたかれるんです。

なんで怒られたのかわからないので、理由を尋ねると、「わからないのなら、大人のやることを見ていなさい、見て学びなさい」と言われました。何も教えてくれないのです。

こうした経験も、今では、ミーティングやパーティーの際に恥をかくことがなく役立っています。今思うと、大嫌いなんですが、「学んで良かったな」と思っています。

 

現代にも残っている山形県米沢と上杉家の縁

真田家側の祖父は戦後すぐに結核で亡くなりました。祖母は実家(上杉家)に戻り、父や叔父を育てました。その後、私が生まれるわけですが、上杉家とは本当に親戚のようにお付き合いをさせていただいています。

上杉の最後の土地は米沢でした。よって、米沢にある上杉文化振興財団の理事も務めさせていただいており、私自身も米沢の方々とも親しくさせてもらっています。

直江兼続を主人公とした大河ドラマ「天地人」がありました。その際には、名誉顧問にしていただき、上杉本家とともに宣伝する会のメンバーとして、名刺も作ってもらい、全国を回ってPRを行いました。

ご存知のように、上杉家は新潟・春日山から会津、そして、米沢へと転々とするうちに土地も少なくなっていきました。しかしながら家来は離脱することなく、上杉家についていきました。

苦労したと思われますが、「質実剛健」で生きていくということを育んできたのだと感じます。そうした土地の中で、生まれてきたのが上杉鷹山でした。

現当主も、「米沢と米沢の人たちがあって上杉がある」と言っておられます。私もその通りだと思っています。

先ほど述べたように宇宙開発に長年、力を入れて取り組まれてこられましたが、高齢になった今も、民間の宇宙開発の第一線で働いています。

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