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「偶然に負けることはない」松浦静山が残した“ビジネス”に役立つ名言

『歴史街道』編集部

2010年12月24日 公開 2024年12月16日 更新

「偶然に負けることはない」松浦静山が残した“ビジネス”に役立つ名言

随筆集『甲子夜話』の著者である松浦静山。江戸時代に生き、文武両道に励むなかで有名な言葉を残した。

静山のその名言は、東北楽天の野村克也前監督の座右の銘としても知られているが、その言葉の真意や彼の生い立ちはどういったものなのか。

※本稿は、『人生の決断を導く歴史人物の格言』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。

 

「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」松浦静山

(1760~1841:大作『甲子夜話』を著した文武両道の平戸藩第9代藩主)

随筆集『甲子夜話』の著者として知られるのが松浦静山。平戸藩世嗣・松浦政信の長男として生まれた。父の早世に伴って静山は、12歳で祖父・誠信(八代藩主)の養嗣子となり、16歳で家督を相続した。

柳生石舟斎から新陰流兵法を伝授された徳川家康など、江戸初期以前には武芸達者な将軍や大名も少なからずいたが、静山は江戸中期の泰平の世にあって「心形刀流」を究めて印可を受けた。そのほか弓・馬・槍術や柔術まで武芸全般の修行を積んだ経験を持つ。

幼い頃から記憶力に優れ学問を愛した静山だが、いつまで生きられるかと危ぶまれるほどに病弱だった。その虚弱な体質を克服するため、教育にあたった祖母が文武両道を説いたとされる。江戸の商家出身の祖母がさばけた性格で、大名家の教育方法に固執しなかったのが幸いしたようだ。

静山は藩校・維新館を設立して自ら学を講じるとともに武芸の普及を図った。また藩政の改革を進めるため、身分にとらわれない人材登用も行った。

47歳で家督を三男に譲って隠居し、以後は執筆活動に従事した。1821年の甲子の日の夜に起草した『甲子夜話』は亡くなるまで毎夜書き足され、278巻に及ぶ。

東北楽天の野村克也前監督の座右の銘として有名になったが、言葉の意味は、負け(失敗)を虚心に反省すれば必ず原因が見つかる―。予期せぬ失敗やミスをしたとき、人は往々にして「運が悪かった」「ついてない」で片づけがちだ。

しかし、失敗した場合には必ず原因がある。失敗しないためには「運」が味方するようにふだんから努力を続け、「鈍」(当たり前のことを当たり前に行う、あるいはやるべきことを行うこと)と「根」(最後まで手抜きせずやり通すこと)に全力を尽くすのみである。

文武両道で、さらに吉原で通人として知られたという静山の言葉は、ビジネスにも通じる鉄則といえるだろう。

 

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