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ピュアだった海外旅行初心者が、インドで騙され続け「鬼神化」するまでの顛末

さくら剛

2020年01月28日 公開 2020年02月19日 更新

 

旅人の良心を破壊する「ガイド系トラブル」

旅人がピュアな心を破壊される出来事といえば、タクシー・乗り物系と、もうひとつガイド系が双璧であると私は思っている。

ただの親切を装ってなんとなく道案内や観光ガイドをして、終わってからお金を要求してくる。これは発展途上国を旅すると数限りなく出くわすトラブルで、これを2、3回やられると、旅行者は話しかけて来る現地人は誰も信じられなくなる。

「ようフレンド!どこに行くんだ?案内してやるよ!」と旅先で声をかけられたら、私は心を閉ざす。しつこく話しかけられても、すごく不機嫌そうに返事をする。

「オイオイ元気ないな。どうかしたのか?」と聞かれれば、「別にどうもしてないよ」と答えながら心の中では「おめえみたいなインチキガイドに付きまとわれたら不機嫌にもなるわっ‼どうせ金取る気まんまんなんだろ。わかってんだよ、こっちは!」と叫ぶ。

そうして警戒して警戒して、最終的にその人が目的地まで案内してくれた後、お金の話など一切せず「じゃあ良い旅を!」と言って去って行くと、私は「えっ、ただの親切っっ?」と意表を突かれ、銀行強盗でもした後のような、ものすごい罪悪感に襲われる。

ああ……神様、善良な現地の方を疑った私を激しく罰してください……雷を私の上に……(涙)。

とはいえ人を無条件に信じていたらすぐ全財産奪われて旅が終わるし、信じなかったらそれはそれで罪悪感を背負うことになり……、どうすればいいんだ。

しかし旅の間、自分を守るためには、どちらかというと人を信じない方で行くしかないと、私は思う。

私たちは近所の人を全員泥棒だと思っているわけではないが、中には泥棒がいるかもしれないので、家に鍵をかけるのだ。それならば、本当に相手が信用に足る人物だとわかるまでは、旅人も心の施錠が必要なのである。

 

「旅は自分探し」は本当だった

「自分探しの旅」というフレーズは今では失笑の対象となることも多いが、私は旅には「自分を見つける」という側面は確かにあると思う。

初日にはおどおどヘラヘラし「サンキューサンキュー」「ソーリーソーリー」しか言えなかった自分が、1ヶ月後には

「あれ、おかしいなあ。あなた始めに『100ルピーでいい』って言ったよね?確かにそう約束したよねえ?ねえねえ、大人しくしてりゃいい気になりやがって!テメエ、外国人だからってナメてんじゃねえぞコラッ‼ケンカならケンカ言うてはっきり言えや、いつでもこうちゃるけえっっ!」

と、『仁義なき戦い 完結篇』の松方弘樹くらいドスを効かせて迫れるようになっており、その迫っている自分をもう一人の冷静な自分が「うわ〜〜、俺ってこんなに感情を剝き出しにして誰かを怒鳴ることができたんだ……。

すっかり君子のつもりだったけど、こんな凶暴な一面もあったのね、俺って……なんか新鮮……」と分析していたりする。

そのように今まで知らなかった新しい自分を発見できるという点は、まさに「自分を探せる」という旅の要素ではないかと思う。残念なのは、「他人を感情剝き出しで怒鳴ることができる自分」は、一生発見しない方がいい自分であるということだ(涙)。

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