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"がん"になってもやり切った…77歳で博士号を取得した男性の「暗示勉強法」

吉岡憲章、鬼塚忠

2020年03月02日 公開 2022年07月05日 更新

"がん"になってもやり切った…77歳で博士号を取得した男性の「暗示勉強法」

経営コンサルタントとして第一線で活動し続けるかたわら、2019年には77歳という超高齢で経営情報研究科の博士号(Ph.D.)を取得した吉岡憲章(よしおか・けんしょう)さん。自らの博士号取得の経験をベースに、シニア世代の大きな可能性を提言する新著『定年博士(ていねんはくし)』が2020年3月に刊行される。

なぜ、吉岡さんは定年を迎えるような年齢で博士号取得を志したのか。吉岡さんの体験から学べる、人口減・少子高齢化が避けられないこれからの日本社会で充実したセカンドライフを送るヒントとは。

本稿では、作家エージェントで自身も『花戦さ』などのヒット作品の著者でもある鬼塚忠さんが、人生100年時代における挑戦と学びの大切さについて明らかにする。

 

60歳目前で痛感した「自らのレベルの低さ」

(鬼塚)吉岡さんが博士号取得を目指したのは、通常のサラリーマンが定年を迎える60歳のころですよね。

それまでにも経営コンサルタントして1000社以上の会社を復活させ、「常識破りの再生請負人」と称されるほど実績を出されていたとのことですが、なぜ、また博士号の取得を決意されたのですか?

わざわざ、お金と手間をかけて博士号を取得しなくても、現状でも仕事は充実していそうですし、社会の風潮にならって隠居したとしても老後の資金は不自由ないと思うのですが。

(吉岡)まだまだ働いて社会に貢献できるのですから。隠居などしたくないですね。それに、博士号取得と言ってもいままでのキャリアとまったく違うことを勉強するわけではありません。いままでやってきた仕事を、学問として別の角度から深掘りしたかったのです。

質問の博士号取得の決意ですが、その決意に至ったのは、いろいろな思いが積み重なった結果ではありますが、1つ挙げるなら、50代なかばで経験したとある上場企業(A社)の再生指導がきっかけでした。

その会社は私が関わってから1年で黒字化し、経営再生できたのですが、経営者は会社に儲けが出たことで豹変し、驕りが生じました。

その油断が仇となり、銀行の貸し剥がしによって経営破綻してしまったのです。A社の社長に、経営者としての危機意識が欠如していました。これは私にとっての大失敗でした。

(鬼塚)収益改善に成功しても、慢心してその後、会社倒産ですか。吉岡さんは社長の意識にまで注意を払わなければいけなのですか。

(吉岡)そうだと思います。その手抜かりこそまさに、私が痛感したところです。それまでの私は、自分の考えた再生手法を駆使して、企業の収益性さえ改善すればいいものだとばかり思っていました。

しかし、A社が破綻した原因は明らかに「社長の危機意識の欠乏」でした。中小企業の経営がうまくいくかどうかは、社長の危機意識の自覚が非常に重要なのです。そこに気づいていなかった自分の視野の狭さに、60歳を前にして気づいたのです。現場の付け焼き刃だけではだめだと。

これはもう一度、経営を基礎の基礎から学ばなくてはいけない。そこを学術的にも詰めたいと思い、自分で大学院に行って研究を重ね、博士号を取れるほどの努力をしなければならないと思いました。

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がんを克服し、大学院の門戸を叩く

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