心はウイルスとどう戦えばいいのか…思想家・中村天風の説く「病に打ち克つ哲学」
2020年04月16日 公開
人生の心に、余裕を
人間というものは人間自身の心の中の思わせ方や考えさせ方が、自分の生命の全体を強くもし、弱くもするものだということを、もう厳格に悟ろう。また悟らなきゃいけない。
だからどんな場合があっても、人間の心に何かの観念が出ると、その観念の型のとおりに宇宙本体から微妙な力が働き出して、その観念の型が良けりゃ良いように、悪けりゃ悪いように、わかり易く言や、思い方や考え方が積極的なら積極的なものができ、消極的なら消極的なものができるんだよ。
そういうふうにできてるんだからしょうがない。人間の境遇だとか、その人の現在に同情するなんてことはないのよ。
真理というものには同情はない。
だから、どんな場合があっても忘れちゃならないのは、心というものは万物のすべてを生み出す、宇宙本体の無限の力を自分の生命の中に受け入れるパイプと同様だということを忘れちゃいけないよ。
パイプに穴が空いてたら何もならないだろう?
それからそっぽを向いていたら何にもならない。そうだ。パイプでわからなかったら、光を通す窓だと思え。それでもわからなかったら、科学的に言えば、電流を通ずるワイヤーだと思うといい。
今までは気がつかずにいたかもしれないけど、人生の一切は、健康であろうと運命であろうと、肉体も心も運命も環境も一切合切、人の心によってつくられているものなんでありますぞ。
これが科学研究の人間にはわからなかった。また現代でもわかっていない。
ようやくにわかりかけているが、どうすりゃ一体全体、それじゃその心を処置することができるかということがわからずにいる。
とにかくお互い、ねえ、いったん人間として生まれた以上は、健康的にも、運命的にも、理想どおりの正しい人生を建設しなきゃ噓だ。
だから絶えず注意深く自分の心の中の思い方や考え方を、積極的にすることに努力しなきゃいけない。
心の中に消極的なことを思ったり考えたり、神経を過敏にしたりする人間がいたら、およそ私はこれは真理を冒瀆する罰当たりだと遠慮なく言うぞ。
自ら尊い宇宙本体の力を拒否している人だ、否定している人だ。尊い慈悲の力を自分から踏みにじっている人だと遠慮なく言うぞ。
神経過敏の人間の言うことは、現在の苦しさから逃れたい、死ぬのがおっかないと言うが、じゃあ生まれる前はおっかなかったか?
死ぬことは生まれる前と同じ境涯に入るんじゃないか。いわんや安定打坐の無念無想は、死と一歩の境しかない、大死一番の境涯だ。
だからもう少し人生の心を、余裕のある状態で生かしなさい。