“あの日”から10年…「田中将大、楽天復帰」に元同僚・山崎武司の“偽らざる本音”
2021年03月10日 公開 2022年10月14日 更新
田中将大の「恩返し」
その熱き思いは、20歳年下の後輩にも共有され、仙台を遠く離れ、海の向こうに活躍の場を移していた間にも、さらに"醸成"されていた。
2021年(令和3年)1月28日、田中将大の東北楽天への復帰が発表された。
メジャーの名門球団、ニューヨーク・ヤンキースで6年連続での2桁勝利を含み、メジャー7年間で通算78勝。バリバリのメジャーリーガーの32歳が、東日本大震災から10年を迎える節目の年に、ニューヨークから仙台へ帰って来たのだ。
「10年という数字は、自分にとって意味のあるタイミングじゃないかと思ったので、今回のこのような決断に至りました」
1月30日の記者会見で、田中は「10年」への思いが、今回の復帰を決断する一大要因になったことを、はっきりと口にした。
田中将大は、東北楽天という球団が「東日本大震災」とともに歩んできた道程の中で、欠くことのできない存在でもある。
2011年(平成23年)4月29日。
本拠地・Kスタ宮城(当時)で行われた"震災後初試合"はオリックス戦だった。当時22歳の田中が先発して9回を1失点、138球の熱投で完投勝利を収めている。
山崎は4番を務め、平石も試合途中から左翼と一塁の守備についている。
東北楽天が初の日本一に輝いた2013年(平成25年)、田中は24勝無敗という驚異的なプロ野球新記録を樹立し、その実績を引っ提げてメジャーへと羽ばたいていった。
『あの日』から10年。
地位と名誉、ビッグマネーに成功もつかんだ男が、肉体的にも精神的にも、野球人として脂の乗り切ったこの絶頂期に、もう一度、仙台のマウンドに立って投げたいという思いが芽生えた"心情"は、山崎の心にもぐっと響くものがあるという。
「あの震災を経験して、やっぱり俺だって、今でも"何か"が心の中にある。俺たちのことを、東北楽天ゴールデンイーグルスをあれだけ応援してくれた『恩』だよね。やっぱりそれを、返さないといかんからね。
だから、将大もそのつもりでイーグルスに帰って来たと思うしね。いろいろな条件が重なって2021年になったんだろうし、それがたまたま『10年』というところだとは思うんだけど、それはそれでいいんじゃないかな。
田中が日本に復帰して、例えばジャイアンツに行くとかになっていたら『はあ?』ってなるけど、やっぱり、収まりのいいイーグルスになってくれたからよかったよ。でも、将大もそんな(他の日本球団に行く)ことなんか、毛頭考えていなかったと思うよ。やっぱり、イーグルスにまた帰って来て、恩返しだと」
ただ、そうした情緒的なくくりだけで、田中の復帰を山崎は捉えてはいない。
「俺は今回、『10年』だからって、田中が日本に帰って来たって(周りは)言うけど、やっぱり、メジャーの評価が低かったから、日本まで視野を広げたことで、条件が合致したんだと思う。できれば俺は、将大にはアメリカでやってほしかったな、というのが本音だよ」
後輩に向ける野球人・山崎武司としての視線は、ちょっとばかり厳しいものがあった。
「だけど、帰って来た以上は、東北を盛り上げてほしいよね。仙台に帰って来た以上、やっぱり『とてつもない田中将大』を見せてほしい」
プロ野球界の「未来」
多趣味の山崎は現役引退後、カーレーサーとしても活躍している。
2015年(平成27 年)からは、仙台で開催されるレースに毎年出場し、そのときには必ず「東日本大震災みやぎこども育英募金」に100万円を寄付し続けており、2020年(令和2年)で6年連続6回目となった。
毎年11月には宮城県内の各地区から選抜された8チームによるトーナメント「山崎武司杯少年野球選抜大会」が行われ、これも2020年で12回目を数えた。
山崎は毎年、主催者としてグラウンドへ足を運び、表彰式で子供たちに声をかける。
「続けてやること。それが、俺の恩返しなんです」
山崎も、仙台との「絆」を、今も大事にしている。
「今、『絆』って、それはさておいて、って感じになっているじゃないですか。仮に災害が起こったとしても、コロナ禍だから、ボランティアもしないでくれ、ってなるでしょ? 今は仕方ない。
でも時を経たら、これを必ず取り戻さないといけない。そうしないと、野球もそうだけど、スポーツ界全部が危機になりますよ。こんな日がずっと続くとは思わないんだけど、でも、これでもできるんだと思われてしまうのが辛いですよね。
リモートとか、コンピューターの中ですべて終わってしまう。野球もテレビの中とか、画面の中だけでいいとなっちゃう。今、コロナで、人と会うなと。一番効果的なのが、家でじっとしていることと言われるのが辛いですよ。」
「――人との触れ合いとか付き合いとか、会ったときに分かることって、絶対にあるじゃないですか。試合での"駆け引き"もそうですよ。そういうのがなくなってしまう。数字ですべてが解決される。そんな時代は寂しいですよ」
新型コロナウイルスの世界的な流行で、従来のルールや慣習、やり方といったものが通用しなくなってしまうという、何とも難しい現実が突きつけられている。
無観客の試合開催、ファンサービスの自粛といった「感染防止策」は「お客さんあっての商売」であるプロ野球ビジネスの"これまで"を、それこそ根底からひっくり返し、全否定しているかのような状況ともいえる。
ただ、ここで、このまま、立ち止まっているわけにはいかない。
コロナ禍が終息した後の"未来"がどうなるのか、簡単には読み切れない。しかし、そのときにはきっと、スタジアムには歓声と熱気が戻ってくる。
各球団は、そのための環境を整え、さらに進化させていくために、知恵を絞り、必死に汗をかき、たゆまぬ努力を現在進行形で積み重ねている。
コロナ禍を乗り越えた先に、きっと、プロ野球界の『新たな未来』が開けてくる。
ファンとの「絆」を取り戻せる日は、きっと来る―。