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ブラック企業"織田家"に転職してしまった明智光秀と「本能寺の変への布石」

本郷和人(東京大学教授)

2021年07月19日 公開 2024年12月16日 更新

 

謎だらけの「本能寺の変」

本能寺の変は日本史上最大のミステリーと呼ばれています。わかっているのは、1582年6月2日、京都の本能寺にいた織田信長を重臣の明智光秀が襲撃したということ。

「なぜ光秀は信長を暗殺したのか」には、確たる答えが出ていません。説は50以上もありますが、おおまかに以下の5つに分類できます。

(1)怨恨説 信長の長年のパワハラに光秀がキレた。
(2)野望説 信長をぶっつぶしてのし上がろうとした。
(3)義憤説 信長では国のためにならないと一念発起。
(4)黒幕説 光秀の糸を引いていた黒幕がいた。
(5)四国説 信長は「四国は攻めない」といったのに、手の平を返して攻めたから「許せん!」と。

(5)について、光秀は、四国の長ちょう宗そ我か部べに"営業"をかけていて(信長の家来になれということ)、一旦は信長が「家来になるなら、四国は長宗我部がもってていい」的なことをいったんです。

それなのに、光秀の働きを苦々しく思っていた秀吉にそそのかされて、信長は急に「四国も獲る!」といい出した。

「話がちげーよ!」と面目をつぶされた光秀が信長を暗殺したというのが四国説。

ここ数年は「(5)四国説」が有力といわれていますが、決め手になる証拠は見つかっていません

 

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