そして母は、お坊さんになった
母は何事もやりはじめると、まわりが見えなくなるタイプだった。父と僕の予想に反して、我が家の仏間にはどんどん悩みを抱えた人が増えていった。
母はあっという間にお坊さんの免許を取得し、位を駆け上がっていることがわかった。気がつけば中2の終わりには、反対していた父までもが巻き込まれ、母の説法の隣に座るようになっていた。
経営するギフト屋もスタッフが増え、母はやがて現場から抜けるようになり、2階に上がると「チーン」という音と共にたくさんの人がお経を上げ、その後に輪になって母に人生相談をするという不思議な家に変身していた。
僕が中学生の当時は映画『ビー・バップ・ハイスクール』の全盛期。僕も例にもれず、不良に憧れ、短ランとボンタンで剃り込みを入れ、仲間たちと共に元気に暴れまわっていた中2病全盛期。その兄を見て育ったせいか、弟の幸士も小学生ながらに兄を超える超ヤンチャ坊主になった。
フリフリのエプロンやメルヘンな小物に囲まれたギフト屋の中を通って2階に上がると、母のまわりには悩める人たちがいて人生相談をしている。今振り返ってみても、我が家はものすごく変な光景だったと思う。
しかし、母の持つよくわからないカリスマ性というのだろうか。気がつけば僕の仲間の悪ガキたちも、説法の中に正座して座るようになった。僕はそれが嫌でいつも母と口ゲンカばかりしていた。
集会のない日、久々に食卓に集まったとしても、父と母の会話は「徳を積む」とか「利他」とか「感謝」とか意味不明な仏教用語が飛び交う。
いつのまにか我が家の壁は、母が書いた「おかげさまの教え」や、相田みつをさんの『にんげんだもの』の日めくりカレンダーで埋め尽くされていくようになった。
トイレの教え
ある日、母はこんな紙を書いてトイレに貼った。
茂久くん、幸士くん
今日も一日、たくさんの人たちのおかげさまで
楽しい一日を過ごせてよかったね
人間一人ではできないことが多いけれど
みんなが助けてくれて
今日のわたしたちがあるのよね
おかげさまを忘れない人でいてくださいね
きちっとあいさつできていますか?
おはようございます
こんにちは
こんばんは
ありがとう
すみません
ごめんなさい
あいさつが立派にできる人って
素敵な人になれると思うよ
お父さんお母さんの大事な宝の二人だから
どうぞ立派に成長してください
お父さん、お母さんより
ビー・バップ・ハイスクールの流行りに乗った悪ガキ少年に似つかわぬ、自己啓発セミナーのような家庭環境。
嫌ではあったが、人間は環境の生き物であるということがわかる今となっては、「徳」「利他」「感謝」という言葉が僕の中で無意識にインストールされたのは、間違いなくその時期であって、それはやはり母の影響が大きかったのだと思う。
母を中心として家族1人ひとりが好き勝手に好きなことをやっている家ではあったが、それなりにバランスは取れていた。