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徳川綱吉はバカ殿?〜歴史の通説はウソばかり

井沢元彦(歴史作家)

2018年06月22日 公開 2022年11月09日 更新

徳川綱吉は本当にバカ殿か

誰が「生命尊重」を常識としたか

私はよく、生類憐みの令というのは「劇薬」だったと表現しています。法律としては、一言で言えばむちゃくちゃな法律です。人間どころか動物を殺しても死刑になることがあったというのですから、実際のところ、非常に問題の多い法律だったはずです。

しかし、実はその法律の陰に隠れているのは、生命の尊重、という基本思想でした。そして、蚊1匹殺しても下手をすると遠島になるというような、そういうむちゃくちゃな法律を施行したことによって、日本人の意識は劇的に変わっていったのです。

「人を殺すなんてとんでもない」という風潮ができたのは、この法律ができたあとのことです。人を殺すのはとんでもない悪事であるという意識の中に、われわれ現代人は生きています。我々の日常的な倫理の中に、そうした意識は深く根を下ろしています。ところが戦国時代は、人を殺すことが功名だという意識をもって、世の中は動いていました。

日本人の意識の大転換が起こったのは、実は綱吉の時代なのです。

だから私に言わせれば、綱吉は相当な名君なのです。

有名なシェークスピアの書いた悲劇『ジュリアス・シーザー』に出てくるセリフに「人が死ぬや善事は墓とともに葬られ、悪事は千載の後まで名を残す」というのがあります。綱吉の例は、まさにそういうことだろうと思うのです。生類憐みの令というのは、確かに非常に劇薬的な法律であって、薬効は明らかでしたが、副作用も大きく、多くの人がつまらない罪で死刑になったというマイナス面があります。にもかかわらず、それがあったからこそ日本人の意識は劇的に変わって、生命尊重の社会というのができるようになりました。しかし結果として、シェークスピアの言う「悪事」 のみが後世に名を残し、善事は忘れ去られてしまったというわけです。

現代を生きるわれわれがいま、生命尊重が当たり前だと思っているのは、さかのぼれば綱吉のおかげです。そういうことを歴史学者は全然分かっていないのです。

当時の人は実際にどう感じていたかというと、今まで極端に言えば人を殺すことは「善」だったのに、蚊一匹殺しただけで遠島ということが実際にあったわけで、彼らが綱吉の悪口を言うのは当たり前なのです。「こんなバカ殿、とんでもない悪だ」と。同時代の人から見ればそうだとしても、長いスパンで見れば、その成し遂げた功績は大変立派なことなんだと評価せざるを得ません。歴史とは本来、そういう見方をしなければならないものなはずでしょう。

江戸時代になると学問が盛んになって、五代将軍の時代ともなると、たとえば儒教的な道徳とか寺子屋での教育がけっこう普及してきます。それでもやっぱり殺伐とした世の中というのは収まっていないわけです。

そうした人間の意識を完全に変えるということがいかに難しいか。だから綱吉は、大人物だということが言えるのです。

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