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生き方

「世田谷事件の家」のその後...遺族が翻弄されたケア不在の警察対応

入江杏(文筆家、上智大学グリーフケア研究所非常勤講師)

2022年07月27日 公開

 

命日直前の警察の理不尽な対応

あの家はすぐにも取り壊したい。事件直後からそう思っていました。それでも、私たちは、自分の思いを優先することができませんでした。

事件解決のため、捜査協力のため、何にも増して、妹たちの魂のため。警察からの依頼ではあったものの、取り壊し延長願いは、私たち遺族が提出しなければなりませんでした。心の棘となってしまったあの家は、事件現場として、守られる場所になったのです。

渡会幸治捜査一課長(当時)からの「遺族の意向に沿って進めていきたい。今後もしっかりと捜査していく」との言葉。それは「意思の決定と責任は遺族に」という意味だとすれば、私は重大な意思決定を迫られたことになります。大きな負担を感じました。

事件現場の公開を決意したきっかけは、2019年12月26日付で警視庁成城署長名の要請解除通知を渡されたことです。紙一枚の簡素なものですが、建物についての証拠保全措置が完了したことによる、取り壊し延長の要請解除を事務的に通知するものでした。

「記念日反応」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。亡くなった人の命日や誕生日、結婚記念日など、思い出深い特別な日が近づくと、気持ちが落ち込んだり、体調が崩れたりするなど、亡くなった直後のような症状が現れることです。

グリーフケアの授業では、この反応を、大切な人を亡くした方にはよく起こる自然な反応だと伝えています。

書面が渡された12月26日は命日の直前でいつもとても辛い思いをしています。命日の直前で、なぜ一番つらいときに、こんな通知を寄こすのか。とても悲しくなりました。遺族の意思を問われたのは今回が初めてです。

警察の都合により、取り壊しが延長され、徹底した管理下に置かれていたあの家。一転して、今度も警察の都合により、保全が解かれることになりました。にもかかわらず、意思を問われる先は、私という個人です。

これからは警官の歩哨も立つことなく、防護ネットも取り外すと、警察から告げられました。老朽化した家の壁や瓦が風で飛んで、周辺住民に迷惑をかけることになっても、警察は責任を持たない。

迷惑をかけないためには、家の管理を個人でするよりほかない。それができないなら、取り壊しをするしかない。選択肢がないにもかかわらず遺族にゆだねられた意思。とても理不尽だと感じました。

もし、取り壊しをしなければならないなら、取り壊しの前に現場をメディアに公開しようと思ったのは、現場を見ていただいた上で、伝えたいことがあったからです。

4人が狭い家で、つましく一生懸命生きていたことを、4人の人生の肌触りを、知ってほしかった。事件後、荒唐無稽なデマやフェイクニュースが流されました。軍事訓練を受けた韓国人の犯人がほふく前進をして、被害者に近づいた、などと書かれた本や記事を目にしました。

とても傷つき、腹立たしく感じました。だからこそ、いずれ取り壊さなければならないのなら、実際に家に入ってみてほしい。すれ違うことなどできないほどの狭い廊下や階段を体感してもらえば、根も葉もない推理などできないはずだからです。記者には、その目で現場を見ていただきたかったのです。

警察から鍵の返却を受け、2020年1月15日に妹宅に入ると、まるで倉庫か、引っ越し直前の家かのように、積み上げられた段ボールに囲まれていました。

意思の決定を投げかけられたものの、警察は私の気持ちを本当に聞いていたのでしょうか。私の気持ちが揺れているにもかかわらず、すでに遺品はすべて箱詰めされていました。家は取り壊しというゴールに向かって着々と準備が進められていたのです。意向を聞く、意思を問うというのは、表向きのことなのだと感じました。

事件現場を公開した当日、弁護士を交えての記者会見には、妹が学習塾を開き、たくさんの子どもたちが出入りしていた、かつてのにぎやかなスペースを選びました。

妹と一緒に、さまざまな個性をもつ子どもたちが、伸び伸びと学べる居場所創りをしたい。そんな私たちの夢は、事件によって葬り去られてしまったのです。

 

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