親や先生の言うことをよく聞く、成績優秀、学校は無遅刻無欠席……そんな模範的だった生徒が、ある日突然のように社会を驚かすような犯罪に及ぶことがある。彼らにいったい何が起きていたのか?
実は彼らは「偽りの成長」をしていたにすぎないと加藤氏は言う。
※本稿は、加藤諦三著『不安をしずめる心理学』(PHP新書)を一部抜粋・編集したものです。
模範的な学生の犯罪事件
「擬似成長」という言葉の意味について考えたいと思います。これはマズローの言葉です。
成長というのは、もちろんいいことです。ところが、この成長の前に「擬似」という言葉がついています。つまり擬似成長というのは、本当の成長ではなく、偽りの成長ということです。満たされていない欲求をやり過ごすことによる偽りの成長です。
例えば、子どもにはさまざまな欲求があるでしょう。しかし、そうした欲求を全部抑えて親の言う通りにしたとする。しかも、自分の欲求が満たされていないのにもかかわらず、あたかもすべて満たされているかのように思い込む。こうして自分を偽るのです。
社会を驚かすような罪を学生が犯した時に、テレビや新聞などの報道では「模範的な生徒だった」と言われることがあります。見知らぬ人を殺したような犯罪でも、「模範的な生徒」と言われることもあるのですから、驚くべきことです。
親の言うことを聞く、先生の言うことを聞く、学校は無遅刻無欠席ということであれば、確かに模範的な生徒なのでしょう。
しかし、その生徒は擬似成長だったのです。一見すると成長しているかのように見えたのですが、内面ではまったく成長していなかった。
マズローはこれを「極めて危険な基礎の上に立っている」という言葉で表わしています。
社会的には、うまくいっているように見えるし、社会的に適応しているようにも見える人が、実際には「危険な土台の上に立っている」ということです。
擬似成長の人は、内面の変化を拒否します。そのため、当然のことながら視野が狭いのです。
擬似成長の先にあるもの
擬似成長の例として、模範的生徒の犯罪の話をしましたが、中高年の自殺も擬似成長の観点から考えることができます。
考えてみると、中高年というのは、一番賢い時代といえるかもしれません。ある程度年齢を重ねており、人生においてそれなりに経験を積んでいます。
また私のように高齢で、もう肉体的に無理がきかない、というわけでもありません。心も身体も一番熟しているはずです。
一生懸命働く年代ですが、困難を克服する能力が十分にできていないと、社会的にも責任ある行動をしているように見える人が、突然自殺することがあります。
そういう人の努力は、他人よりも秀でている自分を見せるための努力だったのかもしれません。こうした擬似成長は、もはや不幸になるためだけにする努力です。ですから、不幸になりたくなければ、そうした努力をやめなくてはいけません。
世の中には不幸になるための努力をしている人がたくさんいるのです。他人に優越しようとして、嫌いな仕事であえて成長しようとする人です。こうした人は、警戒心が強くて他者と心の触れ合いが難しい傾向にあります。
アメリカのABCニュースの番組でドラッグの特集をした時に、ドラッグで自殺した子どもたちに「Best and Brightest」が多いという説明がありました。「もっとも聡明な少年」ということです。
そうした子どもたちが、ドラッグの過剰摂取で死んでいるという内容でした。
外から見ると「もっとも聡明な少年」であっても、そういう子どもは内面ではつらくて仕方がなく、本当の自分の欲求は満たされていなかった。まさに、先ほど述べた危険な土台の上に立っている状態です。
彼らは、小さい頃からそういうふうに教育されていて、それが最良であると思い込んでいます。表面的にはとても聡明に見えますが、嫌いなことを一生懸命やっているだけです。だから、つらくてドラッグに手を出してしまうのです。
アメリカは、日本よりもドラッグが手に入りやすいので、つい手を出したドラッグに溺れてしまい、ついには死に至ってしまうのです。