自己に限定的なイメージを持たない
視点を変えるためには、自分に対する古い、限定的なイメージを捨てることである。
一つのことだけに自己のイメージを限定すると、個人も企業も危機的なほどもろくなる。
たとえば主婦の場合は、自分のすることのすべてを狭く定めているかもしれない。人と会ったときの自己紹介は「誰々の妻です」とし、「夫の家」を切り盛りし、自分の服には「夫が好きそうな」ものを買い、夫のために食事を作っている女性と自分を見ている。
この厳格な役割に満足なのかもしれないが、夫が荷物をまとめて出て行くことになったら、どうなるのだろう。ルールが変わっても、うまくやっていけるのだろうか。
どの「主婦」にも、ほかに多くの役割がある。娘であり、姉であり、妹であり、友人であり、大工であり、アマチュア画家であり、といった具合だ。
そういった区別をマインドフルに自覚することで、何かを失っても傷つかないようになる。自分自身の定義を以上の役割すべてに、もしくはそのいくつかに広げられれば、夫に何かあったとしても、自分の人生を続けていけるのだ。
会社で仕事に失敗して自殺するエリートビジネスマンは、自分をエリートとしかイメージできていないのである。
視点を増やすということは、「耐えがたい状況を変える方法のひとつでもある」。
視点が少なければ少ないほど人生のトラブルは多い。
ハーヴァード大学のエレン・ランガー教授のいう、「マインドフルネスであるということ」は、さまざまなものの見方が数限りなく存在するということを、常に認識している心の状態だといってよい。
新しい情報に“心を開く”勇気を持つ
先に、気がついてマインドフルネスになった例を挙げたが、そんなことがいつも起きるわけはない。
かといって、「マインドフルネスになろう」と思って、その瞬間からマインドフルネスになれるわけでもない。心がけて毎日毎日、何回も何回も繰り返す中で、少しずつマインドフルネスになっていく。
マインドフルネスとかマインドレスネスとかいうのは、事実の解釈の仕方のことともいえる。
有名大学の入学試験に落ちて自殺した若者は、自分を「優秀な受験生」としてしかイメージできていなかったのである。だからそのイメージが崩壊の危機にさらされたときに生きていけなくなったのだ。
スポーツの選手などでも同じことである。自分をある種目の選手としてしかイメージしないと、そのスポーツができなくなったときに自殺する人さえ出てくる。あるいは自棄になって薬物に溺れる人も出てくる。
マインドレスネスの特徴が、古いカテゴリーへの固執だとすれば、マインドフルネスの特徴は、絶えず新しいカテゴリーを創造するところにあるとエレン・ランガー教授はいう。
古いカテゴリーへの固執とは、ステレオタイプの見方をすることである。子どもについて自分の硬直した見方を変えない親がいる。人生について自分の硬直した見方を変えないビジネスパーソンがいる。
新しい情報に対して、心が開かれていないのである。
【著者紹介】加藤諦三(かとう・たいぞう)
1938年、東京生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会学研究科修士課程を修了。1973年以来、度々、ハーヴァード大学研究員を務める。現在、早稲田大学名誉教授、日本精神衛生学会顧問、ニッポン放送系列ラジオ番組「テレフォン人生相談」は半世紀ものあいだレギュラーパーソナリティを務める。